東北福祉大、日本一の勝因はとにかく明るい大塚監督

17日、14年ぶりの優勝を果たしてスタンドに笑顔で手を振る大塚監督

<東北福祉大優勝の舞台裏・上>

 全日本大学野球選手権は東北福祉大(仙台6大学)の14年ぶり3度目の優勝で幕を閉じた。昨秋は屈辱のリーグ3位に沈みながら、元西武の大塚光二監督(50)が巧みな手腕を発揮し、就任3年で大学日本一に上り詰めた。「東北福祉大優勝の舞台裏」と題して、3回に分けて勝因を分析します。初回は「大塚流コミュニケーション術」です。【特別取材班】

 とにかく明るい。大塚福祉大の最大の勝因は、選手が伸び伸びとプレーできる空気感にあった。大塚監督は関西人特有のノリを持っており、周囲には笑いが渦巻く。選手とも食事を共にし、今大会開幕前は4年生を集めて「餃子の王将」で決起集会を行った。常に選手へ声をかけて発奮させる「大塚流コミュニケーション術」は、現役時代の恩師からヒントを得ていた。西武で97年から3年間ヘッドコーチを務めた須藤豊氏の言葉に助けられていた。

 大塚監督 レギュラーには何も言わなかったけど、自分みたいな1・5軍の選手が腐らないように、常に声をかけてくれた。試合で3回ぐらいから素振りして9回まで使われなくても、「お前のスイングがあったから、周りに危機感が走って試合に勝ったんだよ」と言ってくれたりして、めちゃくちゃうれしかった。

 今大会で象徴的な働きをしたのが、今春のリーグ戦で先発経験1度のみの清水敬太内野手(4年=酒田南)だ。準決勝の慶大(東京6大学)戦では好調を見込まれて9番に抜てきされ、6回の満塁機で逆転2点適時打を放った。大塚監督は「いつスタメンがあってもおかしくないぞ、とは言っていた。リーグ戦では(5打数4安打で)打率8割。チームの首位打者だから(笑い)」と起用意図を説明。清水敬も「常に準備はしてきた。スタメンで使ってくれたので打ちたかった」と胸を張った。

 今大会は打線が爆発し、4試合連続で2桁安打をマークした。元プロの大塚監督は技術面以上に精神面を強調することで、爆発力を引き出していた。「古いのかもしれないけど、最後は技術じゃなくて、結局はメンタル。これだけ練習をやってきたんだから、自信を持って試合に入る。気合や根性。そこは結構言います」。試合前は監督主導のミーティングを一切行わず、具体的な指示はあえて出さない。試合に出す選手を信頼して委ねるからこそ、土壇場で底力を発揮できた。

 大塚監督は現役時代、気持ちでプレーする選手だった。短期決戦にはめっぽう強く、「日本シリーズ男」としても知られていた。今大会は1番吉田隼外野手(4年=国士舘)がラッキーボーイとなった。白鴎大(関甲新学生)との準々決勝では初球先頭打者本塁打を放ち、延長10回にはサヨナラ犠飛で試合を決めた。慶大戦ではダメ押し3ラン。大会4試合で18打数8安打6打点2本塁打をマークしてMVPを獲得した。

 吉田 自分も監督と一緒で、技術じゃなくて気持ちでいくタイプ。「お前らを信じて使っている。伸び伸びとやれ」と監督から言われてきたので、明るく元気にどんどんやっていけた。

 指揮官が理想に掲げる野球と、それを体現できる選手たちがかみ合ってつかんだ栄冠。だが、1年前は屈辱にまみれていた。大塚監督は会見で「優勝のターニングポイントは」と聞かれると、満面の笑みから一転、顔をしかめた。「今年の全日本に出るまで、あの試合を1日たりとも忘れたことはなかった」。昨年の全日本初戦敗退なくして、1年後の歓喜はなかった。(つづく)

 ◆大塚光二(おおつか・こうじ)1967年(昭42)8月26日、神戸市生まれ。育英(兵庫)から86年に東北福祉大に進学。外野手として全日本大学選手権で2度準優勝に貢献した。4年時は主将を務め、同期は元横浜投手の佐々木主浩氏(日刊スポーツ評論家)。89年ドラフト3位で西武入りし、プロ12年で通算成績は466試合出場で打率2割5分8厘(747打数193安打)、7本塁打、70打点。13、14年は日本ハムで外野守備走塁コーチを務めた。15年1月に学生野球資格を回復し、同7月に東北福祉大監督に就任。通算6季指揮し、リーグV4回、全日本大学選手権には3年連続で出場(通算7勝2敗=不戦勝含む)。右投げ左打ち。