トリプル100なければ「野球やめていた」上原手記

7回裏を無失点に抑え、ナインを出迎える巨人上原(撮影・鈴木みどり)

 巨人上原浩治投手(43)が、日本人初の金字塔を打ち立てた。広島14回戦(マツダスタジアム)の7回、8-8の場面で登板。1回を無失点に抑え日米通算100ホールドをクリアし、通算100勝、100セーブ、100ホールドの「トリプル100」を達成した。メジャーをあわせても過去に1人しかいない、第一線を張り続けた勲章。日刊スポーツに手記を寄せ、長い歩みへの思いを明かした。

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 一般的にはそう認知されていないけど、自分にとっては感慨深い記録になった。記録を達成したいという目標がなかったら、野球をやめていたかもしれない。今年、メジャーでやれなかったら引退なんて言っておいて撤回。恥を忍んで撤回できたのも、どうしてもやり遂げたいという気持ちがあったから。達成してよかったというより、この記録に感謝しているっていう気持ちだった。

 とにかく、しんどかった。1月まではヤクルトの田川と一緒にやっていたし、リハビリ中のライアン(小川)とか、ちょこちょこ練習に来てくれた。もともと1人で自主トレするのは好き。でも移籍先が決まっていない状況の“1人自主トレ”は、精神的なつらさがある。特につらかったのは、本来ならアメリカのキャンプに合流している2月上旬を過ぎてから。「厳しい練習しても意味あんのか?」って、アホらしく思えてくる。嫌なことを考えないようにがむしゃらに練習すると、体の節々が痛くなる。ブルペンで投げても、集中力が続かなかった。

 俺はなんのために練習してるんだ? 自問自答した。1番は野球が好きってこと。でも、いつ引退しても悔いはない。本当かな? やり残したことはないかな? 引っ掛かってきたのが、この記録だった。好きな野球を続けたいから自分で勝手に記録を持ち出してこじつけているだけかもしれない。でも、それはやってみなければ分からないと思った。ただ、チャレンジせずに辞めてしまったら、その答えは一生、分からないまま。日本人で達成した投手はいない。それならやってやろうってなった。

 巨人が声を掛けてくれたのは、本当にうれしかった。これでモチベーションも万全。でも、いざ投げてみると「やばい」って感じ。アメリカに行ってからも、自主トレは日本でやってた。ブルペンも日本の軟らかいマウンドで投げてたけど、実戦で投げるつもりでやると、感覚がまるで違う。今まで投げていたようにスプリットが落ちない。打者と対戦する感覚もない。理由は球団に言わなかったけど、早く日本仕様に仕上げたかったから正式契約やメディカルチェックを前倒しに早めてもらった。開幕当初は急ピッチのツケが残っていたけど、もう大丈夫。これからは、どんどん投げられると思う。

 この記録は、自分自身がプロの世界で歩んできた道のりを表している。先発、抑え、中継ぎは、それぞれ役割が違う。先発していた当時は「抑えは投手の墓場」だと思っていた。今でもその考えは変わらない。

 先発は投手として総合力が高くないとできない。総合力さえ高ければ抑えや中継ぎはできるし、長いイニングを投げるために必要な体の強さやスタミナなんかも若い時の方がいい。別に抑えを軽くみているわけじゃないが、ジャイアンツの若手には「若いうちは先発できるように頑張らないと」と話している。今、中継ぎをやってる宮国なんかは、来年もう1度先発にチャレンジしてほしい。能力は持っているんだから。

 抑えと中継ぎも違う。抑えは出番が分かりやすいからコンディショニングを整えやすい。だけど打順とか、打者の右左を選べない。相手も最後の攻撃で、集中力も高い。中継ぎは左打者が続く流れだったり、相性の悪い打者から始まるなら、別の投手が投げられる。だから変に弱気になるようなこともなく、思い切り打者に突っ込んでいける。負担になるのは、いつ投げるかがはっきりしないところ。だから抑えより肩を早く作る能力も必要。走者のいる場面から投げるケースも、抑えより多い。けん制球やクイックの技術も、高いレベルが求められる。

 前にジャイアンツにいたときは、ポスティングでメジャーに行かせてもらえなかった。他球団は違ったし、当時は「なんで俺だけいかせてくれないんだ」と不満に思っていた。でも、メジャーで活躍するのが目標だったし、そのためにはジャイアンツで頑張らないといけない。抑えは「投手の墓場」って言ったけど、墓場に入ってから長いこと野球をやってこれたのも、ジャイアンツで頑張ってやってきたから。今では本当に感謝している。他球団だったら、ここまで野球を続けられていなかったと思う。

 若い選手も多くて、最初はなじんでいけるか心配だった。でもみんな一生懸命。チーム内の雰囲気もいい。このチームなら、必ず優勝できると信じている。(巨人投手)

 ◆上原浩治(うえはら・こうじ)1975年(昭50)4月3日、大阪府寝屋川市生まれ。東海大仰星から1浪して大体大進学。98年ドラフト1位で巨人入団。1年目に最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、沢村賞、新人王、ベストナイン、ゴールデングラブ賞。02年は17勝で2年ぶりの日本一に貢献し、2度目の沢村賞。08年オフにFAでオリオールズ移籍。レッドソックス時代の13年には抑えでリーグ優勝決定戦MVP、ワールドシリーズ制覇。大リーグでは昨季まで9年、計4球団でプレーした。04年アテネ・オリンピック(五輪)、06年WBC、08年北京五輪代表。187センチ、87キロ。右投げ右打ち。

 ◆トリプル100 勝利、セーブ(S)、ホールド(H)の3部門で通算100以上の投手は、日本ではまだいない。大リーグでも98年セーブ王のトム・ゴードン(88~09年)が、138勝、158S、110Hをマークしているだけ。ゴードンの先発勝利は73勝。上原は先発で108勝しており、先発100勝で100S、100Hは大リーグにもない。