小川直也に猪木魂注入、ロスで弟子入り/復刻

1997年3月4日付日刊スポーツ1面(東京版)

<日刊スポーツ:1997年3月4日付>

 プレーバック日刊スポーツ! 過去の3月4日付紙面を振り返ります。1997年の1面(東京版)で元柔道世界王者の小川直也がアントニオ猪木に弟子入りしたことを報じています。

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 元柔道世界王者の小川直也(28)が、新日本プロレス会長のアントニオ猪木(54)に弟子入りした。小川は1日、2月27日に渡米した猪木を頼ってロサンゼルス入り。今日3日(日本時間4日)から現地のグレイシー柔術、キックボクシング・ジムなどを渡り歩き、総合格闘家としてのトレーニングをすることになった。猪木の「闘魂」を胸に秘めた小川は4月12日、東京ドーム大会で格闘家、小川直也としてデビューする。

 新日本プロレスとの契約が秒読みとなっている小川は、米ロサンゼルスにいた。小川が頼ったのは、世界格闘技のネットワークづくりのために渡米していた猪木。現在、猪木と行動を共にしている佐山聡(元タイガーマスク)と一緒に、既に米国に飛んでいたのだ。

現役時代から「柔道がすべてではない」と話していた小川にとって、すべての格闘技を通じ「最も強いものは何か」は永遠のテーマ。それを追求するために、1976年(昭51)の柔道王ウイリアム・ルスカ戦を皮切りに、ムハマド・アリ(ボクシング)ウイリー・ウイリアムス(空手)らとの対戦で、異種格闘技路線を確立させた猪木は最高の師だった。

 小川は今日3日から、猪木のもとで本格的な格闘技修行に入る。プロレスを含め現在の格闘技界は、異種格闘技戦と呼ばれる種類、流派を問わない戦いが人気。その頂点が、急所打ち、目つぶし、かみつき以外はOKというケンカ大会(アルティメットファイト)だ。もともと「格闘技はすべて好き」という小川は、プロレスでなく格闘家から始めることになる。

 柔道家としては完成されている小川だが、ルールに縛られた戦いしか経験がないのが弱点。ノールールに対応することを目的に、日本古来の柔術からブラジルで発展を遂げたグレイシー柔術からトレーニングを始める。佐山と親交の深い第一人者ヒクソン・グレイシーの道場に出向く今日3日が、小川の新しい格闘人生の始まりとなる。

また、マーシャルアーツと呼ばれるキックボクシング系のジムにも入門し、蹴り、打ち、組み、投げを自在に扱える総合格闘家への変身も目指す。このほかにもロサンゼルスにはあらゆる種類の格闘技のジムが点在していることから、ジャンルに捕らわれない修行ができる。

 現在、プロレスから離れて独自の格闘技路線を行く猪木への弟子入りで、小川のレスラーとしての新日本プロ入門は当面見送られる。「今度、大きいヤツが来る」とうれしそうに話していた猪木にとっても、まずは素質を持つ小川を世界最高の格闘家に育てることが最大の目標となる。

いくら世界王者といっても、プロレスでは素人。一人前になるには時間もかかる。しかし、柔道を生かした「総合格闘技」なら即戦力間違いなし。39日後に迫った4月12日の東京ドーム大会では、柔道世界一の誇りを胸に柔道着を着用しての登場となる。猪木の「闘魂」をその巨体に宿し、小川がリングに上がる。

 ◆小川の今後 小川が第二の人生をいきなりプロレスではなく、総合格闘家に求めた選択は正しい。現在最も注目されているのはどんな試合にも対抗できる格闘家で、スタイルが幅広い日本のプロレスでいえばパンクラスが筆頭株だ。

現に総合格闘家としてWWFに入ったケン・ウェイン・シャムロックもパンクラスで活躍した選手だ。相手が距離を保った場合は蹴りやパンチで応戦。組んでくる選手には投げからひじ、腕などの関節技に入る。また、後ろに回っては首絞めなどの攻撃にも移行できる。

 小川には柔道というきちんとした下地があり、投げから抑え込みに入るタイミングなどは、柔道の試合でも実証済み。足払いを発展させた本格的な蹴りをマスターできれば、怖いものなしの格闘家となる。

☆輪島と北尾の修行

 ◆輪島大士(元横綱) 1986年(昭61)4月13日に全日本プロレス入りを発表し、ハワイで修行生活に入った。砂浜でのランニング、腕立て伏せ200回、スクワット1000回などがノルマだった。7月にはミズーリ州セントルイスに移り、元NWA王者パット・オコーナーに師事。8月7日、ジャイアント馬場とのタッグで海外プロレスデビュー。その後もプエルトリコなど各国を回って技を磨き、11月1日に日本デビューを果たした。

 ◆北尾光司(元横綱) 89年(平元)6月2日にプロレス入り。バージニア州ノーフォークで、鉄人ルー・テーズからプロレスの基礎をみっちりとたたき込まれる。朝は砂浜でのランニング、午前中はウエートトレを行い、夕方からテーズ道場での特訓。スクワット、ブリッジ、受け身、グラウンド練習をこなし、フリースパーリングで終了。10月にはミネソタ州ミネアポリスに移り、アマレス出身のブラッド・レイガンズの下で実戦練習。12月に帰国し、翌90年2月10日に新日本プロレスからデビューした。

 

 ◆小川直也(おがわ・なおや) 1968年(昭43)3月31日、東京・杉並区生まれ。私立八王子高入学と同時に柔道を始め、明大1年の86年全日本学生選手権で優勝した。翌87年に、史上初めて10代(19歳7カ月)で世界選手権優勝を果たすなど、同大会通算優勝4回(無差別級3回、95キロ超級1回)。全日本選手権優勝7回は、山下泰裕氏の9回に次いで史上2位を誇る。五輪での金メダルに縁がなく、92年バルセロナ大会(95キロ超級)は銀、昨年のアトランタ大会(同)は5位に終わった。家族は葉子夫人と1男。193センチ、130キロ。五段。

※記録と表記は当時のもの