栃ノ心涙の初V報われた12年「みんなありがとう」

土俵下で初優勝の感慨に浸る栃ノ心(撮影・小沢裕)

 西前頭3枚目栃ノ心(30=春日野)が念願の初優勝を飾った。勝てば優勝の一番で東前頭9枚目松鳳山を寄り切り、13勝1敗とした。13年名古屋場所の右膝前十字、内側側副靱帯(じんたい)断裂から4年半。東欧のジョージアからやって来て12年。12年夏場所の旭天鵬以来となる平幕優勝を果たした。欧州出身者としてはブルガリアの琴欧洲、エストニアの把瑠都に次ぐ3人目の歓喜となった。

 激しい突き合いから、いなされかけ、栃ノ心が松鳳山を捕まえた。左を差し、右上手で抱え込んだ。自慢の右四つじゃないが、もう関係ない。力強く前に出た。軍配が上がると、こらえるように2、3度天を仰いだ。「親方に、おかみさんに感謝します。両親に、グルジア人のみんなに、友達に…。みんなにありがとうと言いたいです」。声が震え、涙が頬を伝った。

 4年半で、なくした力を取り戻した。13年名古屋場所5日目の徳勝龍戦で右膝前十字、内側側副靱帯を断裂。「こんなので切れるの?」と思った。4場所連続休場。右膝に加え、古傷の右肘にもメスを入れた。入院2カ月。17キロ太り、退院後1カ月で28キロやせた。肉が落ち、力が入らない。部屋で栃煌山、碧山の稽古を見た。「この2人とはもうやれないな」。復帰した14年春場所番付は西幕下55枚目。12年秋場所の小結からの急降下。何度も、辞めようと思った。

 それでも、砂の上を歩いた。ゴムチューブで負荷をかけ、右足を鍛えた。「少しずつ気持ちが戻った。面倒くさいんだけどね。でも、辞めて(国に)帰るのは恥ずかしいでしょ?」。関取の白まわしではない、黒まわしからの再出発。力が戻りつつあると感じた昨秋、右膝の装具を発注した。2品で約7万円。九州場所中に届き、今場所から使った。サポーターの下で古傷をガードし、不安を完全に消し去ろうとした。

 耐えた日々は、心も強くした。昔は門限破り、服装違反を繰り返した。11年10月、怒った師匠の春日野親方(元関脇栃乃和歌)にゴルフクラブで殴られ、部屋を飛び出した。必死で謝り、許しを請うた。「あれがあったから、優勝できたと思う。バカだったと思うよ。もっと真面目にやってれば、番付だってもっと上がってたかもね」。昨年10月に30歳。「オトナになったかな」と笑った。

 三役を務め、幕下まで落ち、はい上がって初優勝した。19人目の平幕優勝者では初めて。人生の大逆転劇を演じた。「優勝は、どんな気持ちなんだろうと思ってたけど…。こんな気持ちなんだ」。来日から12年、ケガに耐えた4年半。とても言葉にできない「こんな気持ち」を、栃ノ心は心ゆくまで味わった。【加藤裕一】