<静岡アナ 気になリスト:SBS牧野克彦アナ(1)>
気になる静岡県テレビ局アナウンサーを紹介する連載「静岡アナ 気になリスト」。SBS牧野克彦アナ(39)の登場です。京都で家業を継ぐつもりでしたが、アナウンサー採用試験の記念受験で自信を付け、瀬戸内海放送に入社。幅広い活動の場を求めて、SBSにやって来ました。
-アナウンサーを志望した理由からお願いします
本当は実家の家電店を継ぐ気マンマンでした。ただ、ラジオを聴くのがすごく好きでした。高3時の英語の先生が、授業を始める前にラジオのカウントダウン番組を流し、英語で曲紹介をして「DJという仕事もあるんだぞ。お前たちもなったら楽しいかもな」と。それが頭の片隅にあって、DJの言葉をノートに書き写したりする高校生だったんです。そうしたこともあり、1局だけ雰囲気を見てみたいと、大阪の毎日放送を受けました。すると、トントンと最終の手前の役員面接まで行きました。
-アナウンススクールなどに通わずにそこまで
行ったこともなかったです。そもそも小1の時からコンプレックスがあったんです。「うどん」が「うろん」になってしまう言葉遅れで。なので、担任の先生と絵本を読み、正しく発音する練習をひたすらやりました。それがすごく楽しくて、高学年のころには、しゃべることが大好きになっていました。そうした背景もあり、言葉を使う仕事への憧れはありました。
-記念受験からアナウンサーを目指すことに
父親は家業を継いでくれると思ったでしょうが、「おお、そうか」と温かく見守ってくれました。両親には感謝しています。
-ローカル局を受験
いくつか受けて香川、岡山をエリアにする瀬戸内海放送に入りました。就職氷河期で、静岡の局は採用がなかったと思います。
-瀬戸内海放送での思い出は
応援実況で甲子園まで乗り込んで、あの銀傘の下でしゃべれたことですね。ただ、仕事の9割は記者業でした。たくさんある島の担当記者のような状態でした。その上、入社した年の5月に先輩キャスターが辞めてしまい、9月からいきなりメーンのニュースキャスターになったんです。
-え! 1年目に
新人でしたので、ミスの連発でした。原稿の最後のページがないとか。でも、自分で取材していたので、その状況を付け加えて、なんとかなったとか。
-なぜ移籍を
より幅広く、やっていきたいとの思いからでした。スポーツの面でも静岡には、エスパルスもジュビロもありますし、それに私の原点はラジオ好き。(SBSには)ラジオもあるということでしたので、募集を見て決意しました。
-中途採用ですね
自己PRのVTRでは、ゴルフをしているシーンを撮影して「エス・ビー・エス!」とか言いながら打ったり。でも、不採用通知が届きました。
-えっ、不採用だったんですか
ガックリと意気消沈していたら、約1カ月後に連絡が来ました。「まだ来る気ありますか」と。光が差しましたね。
-良かったですね。ところでご実家は…
弟が継いでいます。継ぎたがっていたので、ちょうど良かったかと(笑い)。
晴れてSBSへ移籍した牧野アナは、SMAP中居正広(43)との絡みをきっかけに、その名が全国に知られることになります。続きは「その2」でお伝えします。【柳田通斉、鈴木正章】(つづく)
◆牧野克彦(まきの・かつひこ)1976年(昭51)9月28日、京都府宇治市生まれ。同志社大商学部卒。99年、瀬戸内海放送入社。03年からSBSへ。担当は「イブアイしずおか」のニュースキャスター、スポーツ中継など。血液型O。