五木ひろしが平尾さんに惜別「よこはま・たそがれ」

平尾さんをしのび、涙ながらに熱唱する五木ひろし(撮影・村上久美子)

 肺炎のため21日に亡くなった、平尾昌晃(ひらお・まさあき)さん(享年79)の作曲「よこはま・たそがれ」で、スター歌手となった五木ひろし(69)は23日、大阪・新歌舞伎座の座長公演千秋楽を迎え、平尾さんの楽曲3曲を追悼歌唱。平尾さんとのデュエット曲「カナダからの手紙」を歌った歌手畑中葉子(58)も涙ぐみながら悼んだ。

 「五木ひろしを作っていただいた方…です…」

 座長公演の千秋楽。カーテンコールを終え、出演者もはけた最後の最後、五木は震える声であいさつした。「よこはま-」と「ふるさと」「別れの鐘の音(ね)」を熱唱。「平尾さんを思うと(座長公演を)まっとうできない」として、平尾さんの話は最終盤まで封印。閉幕後取材に応じ、平尾さんとの思い出を語った。

 「僕の人生の最大のチャレンジに、とても大きな力をくれた。平尾先生と、山口(洋子)先生がいなければ、五木ひろしはスターになっていなかった」

 五木は3度の改名を経て、71年に「よこはま・たそがれ」で再デビュー。そのきっかけとなったのは、グランドチャンピオンに輝いたオーディション番組「全日本歌謡選手権」。同選手権の1週目ゲスト審査員が平尾さん、2週目が「よこはま-」を作詞した故山口洋子さんだった。

 五木は山口さん、今年2月に亡くなった作曲家の船村徹氏(享年84)と、平尾さんの3人を「五木ひろしの大恩人」として、慕ってきた。73年にレコード大賞を獲得した「夜空」も平尾さんの作曲。恩師の死に「正直に言えば、まだ実感がわかない」と天を仰いだ。

 平尾さんの訃報は前日22日の舞台終演後に聞いた。昨年末のNHK紅白歌合戦で会っており「2年前より元気になっておられたので、本当にまさか、という思いでした」と語った。

 平尾さんは、五木としてのデビュー当時、キャンペーンに同行。「先生はレコード店の店頭に立って、道行く人に声をかけて、お客さんを集めてくれた。無名の僕では集まらないので、先生が頭を下げてくれた」。思い出は尽きない。

 平尾さんからは、テンポ感ある楽曲を多くもらった。その意味を「僕は重たい歌い方。あえてリズムのいい歌をくれた」ととらえ、思いやりに感謝する。五木は「僕が元気であれば、平尾作品も聴いてもらえる」と言い、歌の継承のため、追悼アルバムも検討しているという。【村上久美子】