選手伝えるメッセージ注目/パラリンピック見どころ

インタビューで笑顔を見せる平昌パラリンピック日本選手団団長の大日方邦子氏(撮影・江口和貴)

 平昌パラリンピックが3月9日に開幕する。日本選手団の団長を務めるのが1998年長野大会のアルペンスキーで冬季パラリンピック日本人初の金メダルを獲得した大日方邦子さん(45)。女性パラリンピアン、そしてメダリストとして夏冬通じて初の大役になる。今回は大日方さんのコラム「おびパラ・ワールド」の拡大版として、平昌大会の抱負や冬季パラリンピックの見どころを聞いた。【取材・構成 首藤正徳】

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 -メダリストの団長として心がけたいことは

 大日方 選手1人1人が全力を出し尽くせる環境づくりに専念したい。私自身も経験したことですが、大会が近づくと自分でも気がつかないうちにテンションが上がるので、できる限り日常を崩さないように心がけたい。プレッシャーでつぶされそうな選手がいたら、声がけもしていきたいと思っています。

 -金メダル数などの具体的な目標は

 大日方 前回のソチ大会を超えるメダル数を獲得するという目標はありますが、金メダルの数はあえて掲げていません。選手は誰よりも自分に期待して厳しい戦いに臨むので、過度なプレッシャーをかけたくないと思いました。

 -冬季パラリンピック競技の魅力は

 大日方 例えば私がやっていたアルペンスキーはスキー板が1本しかありません。その幅8、9センチのわずかな板の上で選手はバランスを取りながら、かつ加速して、転倒のリスクを承知で速いラインを攻めたり、ビッグジャンプにトライします。他の競技も含めて、実際に観戦すると人間はこんなすごいことができるのか、と感じると思います。

 -注目してほしい日本選手は

 大日方 大勢を紹介したいのですが…。まずアルペンスキーで2大会連続で金メダルを獲得している狩野亮選手。初日の滑降でメダルを取れば、日本チームも勢いづくと思います。日本勢が初出場するスノーボードでW杯ランク1位の成田緑夢選手は、足に障害を負う以前からいろんなスポーツを経験しています。彼が平昌でどんなメッセージを伝えるのかも注目しています。クロカンの37歳のベテラン、新田佳浩選手は一緒に長く戦ってきた仲間ですから頑張ってほしい。

 -98年長野大会で冬季大会日本人初の金メダリストになった

 大日方 98年長野大会開催前は、スキー場で「チェアスキーで練習させてほしい」とお願いしても断られることがありました。パラリンピックはそれだけ知られていない大会でした。ところが長野大会で注目度が高まり、大勢の人が会場に詰めかけてくれました。応援が力になることを自分自身で体験することができた特別な大会でした。

 -長野大会後に環境にどんな変化があったか

 大日方 車いすを日常生活で積極的に利用するようになりました。長野大会前は車いすで街に出ると奇異な目で見られることがありましたが、長野大会後は車いすで出歩いても「当たり前だよね」という社会に変わった。私自身、スキー場でアスリートとして敬意を払って声をかけてくれるようになった。周りの人の意識が変わりました。

 -10年バンクーバー大会まで5大会連続で出場した。長い競技生活で感じた変化は

 大日方 長野大会以降、W杯がスタートするなど世界中の大会を転戦するのが当たり前になり、コースもどんどん難しくなりました。競技のレベルも上がり、十分にトレーニングを消化しなければ世界の進歩についていけず、次第に仕事をしながら競技を続けるのが難しくなりました。私は応援してくれる仲間がいたから、長く現役を続けることができたと思います。

 -平昌大会から20年東京大会へ。日本に期待することは

 大日方 まず大勢の方に応援してくれる大会になってほしい。そして、それで終わるのではなく、大会を通じて、障害のある人も努力すれば、工夫すれば、そして周りの人が協力すれば、こんなに可能性が広がるということを多くの人に実感してほしい。そうすることで人の気持ちがちょっと変わり、行動が変わる。そうして、いろんな人がいて当たり前だ思える社会になることが、無形のレガシーになると思っています。

 ◆大日方邦子(おびなた・くにこ)1972年(昭47)4月16日、東京都生まれ。早大大学院スポーツ科学研究科修士課程修了。3歳の時に交通事故で右足切断。左足にも障害が残る。高2からチェアスキーを始め、パラリンピックはアルペンスキー競技で94年リレハンメル大会から5大会連続出場。98年長野大会で冬季大会日本人初の金メダルを獲得。メダル数通算10(金2、銀3、銅5)は冬季大会日本人最多。10年バンクーバー大会後引退。現在は日本パラリンピアンズ協会副会長。電通パブリックリレーションズ勤務。