久保建英4人抜き初得点「プロの第1歩踏み出せた」

前半、初ゴールを決めるFC東京U-23MF久保建英(撮影・渦原淳)

<明治安田生命J3:C大阪U-23 0-1 東京U-23>◇第5節◇15日◇ヤンマー

 東京ユース所属のJ3FC東京U-23(23歳以下)MF久保建英(たけふさ)が、Jリーグ最年少ゴール記録を更新した。先発したセレッソ大阪U-23戦で、4人をかわすドリブルから左足で初ゴール。15歳10カ月11日は森本貴幸(J1東京V)の15歳11カ月28日を抜き、J1とJ2を含めても最年少。都内の私立高に進学したばかりの久保の記録弾でチームも1-0で勝利。5月20日開幕のU-20W杯韓国大会の代表入りへ、最高のアピールとなった。

 桜舞う大阪で15歳が新たな歴史をつくった。最年少得点記録を樹立すると、久保はベンチに走り、舌を出した。「決めた瞬間は本当にうれしかった。毎試合、今日こそ決めてやろうと思っていたし、プロへの第1歩は踏み出せたと思う。ホッとした」。頭の上で手をたたき、サポーターと喜びを共有した。

 歴史的瞬間は前半38分に訪れた。左サイドで出したパスがDFに当たり、はね返りを拾うと、覚悟を決めた。まず2人をはがし、さらに2人を引き連れながらスルスルと抜ける。角度はなくなったが、迷わず左足のアウトサイドで蹴り上げた。ブレも加わったシュートはGKの頭上を襲い、手を吹き飛ばし、クロスバーと右ポストに次々に当たってゴールに吸い込まれた。

 「あそこまで行ったらシュートしかないかなと思った。(記録達成は)大して気にしてません。それよりもサポーターにゴールを届けられたことが大きい」。97年天皇杯で愛媛ユース石川大が打ち立てた15歳10カ月24日も更新。日本の1種公式戦(年齢制限なし)で最も若い得点者になった。

 日本のサッカー史に名を刻むにふさわしい才能だ。あのメッシでも13歳で入ったバルセロナの下部組織カンテラに、特例の9歳で合格。11年9月から15年3月まで在籍し、12-13シーズンには30戦74発で得点王。一方、クラブは久保ら18歳未満の有望株を集めた際に違反があったと国際サッカー連盟(FIFA)から認定され、公式戦出場禁止。試合に出るため国内復帰し16年に東京でトップ登録されると、21世紀生まれの中学生Jリーガーとして最年少出場を更新した。

 そんな天才を今でもバルセロナは手放さない。18歳になり処分が解かれる19年6月の復帰を念頭に、あくまで個人的関係として久保のカンテラ訪問を容認。15年秋、16年春、最近では今年1月に久保はスペインへ飛び、カデーテ(15、16歳)Aの練習に参加した。日本に戻ってもなお、特別視される存在。かつての仲間からも「知性、スピード、得点力は今も並外れている」と絶賛された。最年少ゴールは時間の問題だった。

 U-20代表には初の2世代飛び級で招集され、ドイツ遠征中だった3月25日相模原戦を除く全4試合で先発するJ3では待望の得点が生まれた。「この調子で勝利に貢献したい」。身長は1年間で5センチ伸びた。4日前に入学式を終えたばかりの高校1年生の成長曲線は、とどまることを知らない。【中島万季】

 ◆久保建英(くぼ・たけふさ)2001年(平13)6月4日、川崎市生まれ。11年に川崎Fの下部組織からバルセロナのカンテラへ。退団後の15年5月に東京U-15むさし加入。昨季は東京ユースに飛び級で昇格。昨年12月にはU-19代表に選出。家族は両親と弟。170センチ、63キロ。