乾を成長させたC大阪時代のガラスたたき割り事件

逆転負けして悔し泣きする乾(左から3人目)は本田(左)武藤(右)と岡崎に励まされる(撮影・山崎安昭)

 ベルギー戦で敗退が決まった日本の中で、最も泣いていたのはMF乾貴士(30=ベティス)だったかもしれない。少年のような純粋な悔し涙だった。

 乾のサッカー人生を振り返ると、セレッソ大阪時代の恩師でブラジル人のレビークルピ監督(65=現G大阪監督)との出会いがなければ、今回のW杯はなかったかもしれない。

 2011年5月24日、史上初めてACLで実現した大阪ダービーで事件は起きた。前半だけで交代を命じられた当時23歳の乾は、ハーフタイムに激高。自身への不満からとはいえ、万博記念競技場の控室に隣接するシャワー室のガラスを手でたたき割ってしまった。手からは大流血。レビークルピ監督は当然、部下の造反と受け取り激怒した。

 控室に居合わせたクラブ幹部は「あの瞬間、誰もがJ2に放出されると覚悟した。絶対的権限を持つ監督に反抗的な態度をとるとは…」。実際にその2年前、遅刻を重ねたエース柿谷がJ2徳島に事実上の追放処分となっていた。

 事件後、乾は監督に謝罪に出向いた。厳しい言葉を浴びたが、処分は予想をはるかに下回る「謹慎1週間」だった。公式戦も4試合ベンチから外されたが、クラブ幹部は奇跡に近い処分だったといい「乾の失敗はその時が初めて。サッカー少年のようなまっすぐな性格が、監督に重い処分をとどまらせた」と説明する。

 監督の温情に触れ、乾は自身の未熟さを知った。改心したその2カ月後、ドイツ2部ボーフムからオファーが届き、夢の海外移籍が実現した。フランクフルト、エイバル、ベティスへと道を開拓した。欧州での活躍がなければ、今回の初のW杯代表入りは実現しなかっただろう。あの事件があったから、人間としての成長を後押ししてくれたはずだ。

 乾はレビークルピ監督のことをサッカー界の父と慕い、監督も乾のことを自らの著書で「わが息子」と記している。2人の思いがロシアでの2ゴールへとつながった。【横田和幸】