英紙スポーツ1面をGKモウリーニョが飾った理由

ジョゼ・モウリーニョ監督(撮影・PIKO)

<フットボールの母国から:第2回>

 9月3日付サンデー・タイムズ紙のスポーツ1面には、代表ウイーク中にもかかわらず大々的にジョゼ・モウリーニョの写真。しかも、プレミアリーグで指揮を執る姿でさえなく、チャリティーマッチでゴールを守る姿。前日、西ロンドンにあるQPR(現2部)のホームスタジアム、ロフタス・ロードで行われた「ゲーム・フォー・グレンフェル」でのひとこまだった。

 試合前夜にアラン・シアラー軍の一員として「出場」が決まったマンチェスター・ユナイテッド指揮官は、今年6月に少なくとも80人の死者を出した高層住宅火災の被災者救済を目的とするイベントで、期待に違わぬ存在感を披露した。後半にベンチを出ると、スタンドからは冗談交じりのブーイング。同じ西ロンドンを地元とするチェルシーの元監督に対するQPRファンのご愛嬌(あいきょう)だ。今は亡き父親も、ユース世代の息子もGKのモウリーニョだが、本職ではない自軍ゴール前でパンチングやゴールキックをこなし、スタンドから拍手と歓声も浴びた。当人もリスタートを遅らせる時間稼ぎでイエローカードをもらったり、レスターファンとして知られるロックバンド「カサビアン」のベーシストに同点ゴールを決められてオフサイドを猛アピールしたりと、どこか滑稽な悪役を進んで演じていた。

 だが、最後は自らPKまで蹴ったモウリーニョも、先制ゴールを決めてマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた五輪陸上金メダリストのモハメド・ファラらと共に脇役でしかあり得ない。この日の主役は、会場となったロフタス・ロードから1キロと離れていないグレンフェル・タワーの元住人たち。試合の勝者も、PK戦で勝利したレス・ファーディナンド軍ではなく、火災の「サバイバー」たちと、地元コミュニティーの域を超えて集結した「サポーター」たちに他ならない。

 災害というものは発生直後には全国民の一大関心事となるが、被災者の存在は忙しい日常の中で次第に人々の意識から遠のいてしまいがちだ。しかし当事者たちは、物質的、そして精神的にかつての日常を取り戻すために、長い苦しみを乗り越えなければならない。「ゲーム・フォー・グレンフェル」は、被災者たちが「自分たちは忘れられていない」ことを、支援者たちは「彼らを忘れない」ことを、サッカーというスポーツを通じて笑顔で確かめ合うイベントでもあった。

 構造上、火災になればグレンフェルと同様の惨事になりかねない70年代建設の公団高層アパートは全国に数多い。近くを走る国道から黒く焼け焦げた鉄筋むき出しのグレンフェル・タワーを目にするたびに背筋の凍るような思いがするが、筆者を含む観衆は、この日のロフタス・ロードで「繰り返さない」というメッセージも受け取った。

 被災者と支援者が心を1つにした2万人のスタジアムで最大の拍手喝采を浴びたのは、シアラー軍で9番を付けて先発した映画俳優ジェイミー・ドーナンでも、ファーディナンド軍の勝利を意味するPKを決めた歌手オリー・マーズでもない。前半35分過ぎに投入された消防士代表4名と、死者数にちなんだ80分からピッチに立った生存者代表4名と地元ボランティア代表1名だった。

 伝統的にチャリティー精神が旺盛で、公的認可を受けた初の慈善活動は12世紀にまでさかのぼるといわれる英国では、国技にして庶民の生活の一部でもあるサッカーが、幾度となくチャリティーの実施手段となってきた。有名人参加のチャリティーマッチ開催は珍しくなく、以前にはリーグに所属する各クラブのマスコットによる運動会が催されたこともある。元々は、長年に渡ってクラブに貢献した選手が引退後の一助として入場料売り上げを受け取るためのテスティモニアル(功労試合)も、選手が億万長者と化している今日では、チャリティーへの寄付が暗黙の了解となりつつある。

 今回の「ゲーム・フォー・グレンフェル」の発起人とも言うべきQPRのトニー・フェルナンデス共同会長は、火災発生直後からロフタス・ロードを被災者救済の場として提供してきた。クラブ役員で試合実現に尽力したファーディナンドは、ほど遠くないロンドン市内の公団住宅で育った身として人ごとではなかったに違いない。出場者の中には、現役(ストーク所属)でありながら、プロとして名を成した古巣の呼び掛けに応えたピーター・クラウチもいた。

 そして、「スポーツの王様」とも呼ばれるサッカーは、さまざまな垣根を超越して人々を引きつける。90年代に人気を博したバンド「パルプ」のフロントマンで、一見するとスポーツとは縁のなさそうなジャービス・コッカーが、シアラー監督に「30秒だけでも」と訴えて20分間ピッチに立てば、スタンドではアジア系、アフリカ系、カリブ系などを含む親子やカップルも多く見られた観衆が、QPRはもちろん、アーセナル、トッテナム、チェルシーといった他クラブのユニホームを着て声援を送っていた。さまざまなバックグラウンドを持つ人々が結束の固いコミュニティーを作っていたという、グレンフェルの元住人たちを支援するにふさわしい光景でもあった。

 その中の1人に、マンチェスターで働くポルトガル人監督もいた。モウリーニョの「1日限定現役復帰」で話題性も増したチャリティーマッチには、テレビ放映料も合わせて数千万円台の集金が見込まれている。その半分が被災者への直接的な救済に割かれ、もう半分も被災した少年少女向けのサッカー教室などのプロジェクトに漏れなく寄付される運びだ。英国らしいチャリティーマッチの成功に免じて、「サッカーの母国」で高級紙スポーツ1面を飾る貴重な機会を奪われたラグビー選手やF1ドライバーたちも、GKモウリーニョを大目に見てくれることだろう。(山中忍通信員)

 ◆山中忍(やまなか・しのぶ)1966年(昭41)生まれ。静岡県出身。青学大卒。94年渡欧。第2の故郷西ロンドンのチェルシーをはじめ、サッカーの母国におけるピッチ内外での関心事を時には自らの言葉で、時には訳文としてつづる。英国スポーツ記者協会及びフットボールライター協会会員。著書に「勝ち続ける男モウリーニョ」(カンゼン)、訳書に「夢と失望のスリー・ライオンズ」(ソル・メディア)など。