宮里藍に東京五輪コーチ要請へ「できることあれば」

引退会見に臨み最後のあいさつで感極まる女子ゴルファーの宮里藍(撮影・小沢裕)

 「藍ちゃん」が20年東京五輪の金メダル獲得に一役買うかもしれない。今季限りでの現役引退を表明した女子ゴルフの宮里藍(31=サントリー)が29日、都内で記者会見に臨み「モチベーションの維持が難しくなった」と決断の経緯を語った。引退後は未定としたが、五輪対策本部強化委員会の倉本昌弘強化委員長(61)から、日本代表女子コーチ就任を願うラブコールが届いた。

 宮里は会見で東京五輪に携わる意欲を問われ「残りの試合に全力を注ぎたいと思っているので、その先のことは頭にないですけど、何か私にできることがあれば、積極的にやらせていただきたい」と言葉を選びながら話した。

 同日、都内で開かれた日本プロゴルフ協会理事会に出席した倉本氏は強化委員長の立場で「彼女の持つ経験は素晴らしい。五輪の場で代表、候補選手に伝えてほしい」と願った。丸山茂樹ヘッドコーチが男女とも担当する現体制にあって、女子の指導を任せたい考え。倉本氏はリオ五輪前の15年にも宮里をコーチに起用する私案を披露しており、引退決断を機に実現へ向けて本腰を入れる構えだ。

 愛娘の会見後、報道陣に対応した父でコーチの優氏(70)も「指導者になってほしいか」という質問に「そうですね」と答えている。五輪コーチを念頭に置いた発言ではないが「日本も世界も、ゴルフに関するメンタルの科学的な分析が、まだまだ遅れている。藍には自分のスランプを通じて学んだことを生かして、貢献してほしい。そうしたトレーナーとして、選手を助けることもいいと思います」。後進を育てる道へ進むことには賛成している。

 詰め掛けた約300人の報道陣を前に、5年ほど前から引退を考えていたことも明かした。米ツアーで4シーズン連続優勝を達成した12年。選手としてピークを迎えている感覚がある一方、悲願のメジャー制覇に届かない。「一番調子が良くて自信がある時にメジャーに勝てないなら、どうすればいいのか」。自分を見失った。模索する中で、最大の武器だったパットが「イップスみたいになってしまった」と振り返る。

 悩み抜いた末に決めたのは昨夏。それを境に、モチベーションも再び燃え上がってきた。当面は6月8日開幕のサントリー・レディース(兵庫)を「(国内での)ひと区切り」とし、その後は米ツアーに戻ってメジャー最終戦となる9月エビアン選手権までに節目の米10勝目を目指す。最後のあいさつで涙ぐむ場面はあったが「これで終わりという気持ちではない」。国民的ヒロイン宮里藍のストーリーには、まだ続きがある。【亀山泰宏】

 ◆宮里藍(みやざと・あい)1985年(昭60)6月19日、沖縄・東村生まれ。父優氏の指導で4歳からゴルフを始める。宮城・東北高3年の03年にアマとして30年ぶりにプロツアーを制し、その後プロ転向。06年から米ツアーに本格参戦し、09年初優勝。10年には日本人米ツアー最多となる年間5勝。米ツアー9勝、国内15勝。155センチ、52キロ。