<日刊スポーツ:2012年12月3日付>
<関東大学ラグビー対抗戦:明大33-32早大>◇2日◇東京・国立競技場◇3試合◇観衆3万2132人
プレーバック日刊スポーツ! 過去の12月3日付紙面を振り返ります。2012年の1面(東京版)は、明大0秒逆転V 吉田魂で復活14年ぶりでした。
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吉田メイジが宿敵ワセダを下し、14シーズンぶり15回目の優勝をつかんだ。大学ラグビー伝統の早明戦で、明大は6点を追う後半ロスタイムに、途中出場のロック古屋直樹(4年)のトライ(ゴール成功)で逆転。33-32と1点差の劇的勝利で6勝1敗とし、筑波大、帝京大と並ぶ「同率優勝」を果たした。3校同時優勝は対抗戦史上初。元日本代表WTB吉田義人監督(43)が就任して4年目で、98年対抗戦以来のタイトル獲得。両校にとって通算100回目の対戦で、強いメイジが復活した。
記念すべき100回目の対戦で、明大の伝統の力がよみがえった。後半13分で19-32と13点のビハインドも「負ける気は全くしなかった」とフランカー竹内主将。FWもBKも前へ、前へと出続けた。
同32分にスクラムから相手の反則を立て続けに誘って認定トライ。「重戦車FW健在」を見せつけた。6点を追うロスタイムもゴール前で密集戦。SO染山が3人がかりで止められ、投げ出した球を古屋が拾い、インゴールに飛び込む。染山のゴールで逆転し、直後にノーサイド。選手はスタンドに向かって走りだし、喜びを爆発させた。
「本当に選手を誇らしく思います」。吉田監督の第一声は涙声だった。「劇的な勝利に感激したんじゃない。選手の喜んでいる姿を見て…」。就任4年目で早明戦初勝利、そして初タイトルだ。「1年1年積み上げてきた結果です」と声を絞り出した。
08年に大学選手権出場権を失う屈辱があり、翌年吉田監督が就任。復活を託された。1年目は「あいさつ、掃除、整理整頓」から指導した。「明治の矜持(きょうじ=誇り)を取り戻せ」をテーマに、「部屋の乱れは心の乱れ」と生活面から立て直した。2年目はFWを強化し、明大らしい戦いを教えた。3年目は防御を磨き、接戦に勝つ粘りをつけた。
今季はFW、BKどこからでもトライを取れる攻撃力が加わった。就任時に目標を「吉田義人が15人いるチーム」と表現。「全員がボールを持って走り、トライが取れる」の意味で、今回の早明戦前に「完成に近づいてきた」と自信を深めていた。今季から試合前には「勝て」ではなく、「練習通りに」と選手を送り出せるようになった。「北島忠治(元)監督がそうだった。僕もやっとそういう時期に来たのかな」と照れ笑いした。
この日は采配もピタリ。後半19分にラインアウトで活躍する194センチのロック寺田に代え、182センチの古屋を投入。古屋は「僕が出るときは点が欲しい時。何も言われなくても、トライを求められていると」と感じ取り、任務を果たす。吉田監督は「4年生には底知れぬ力がある」。過去3年、早大に負け続けた4年生の最後の執念にかけたのだ。
「完全復活?」と問われて、同監督は「皆さん(報道陣)にお任せします」と言葉を濁した。きっと大学選手権で、96年以来16シーズンぶりの日本一に輝いた時に、高らかに宣言するはずだ。
◆吉田義人(よしだ・よしひと)1969年(昭44)2月16日、秋田県男鹿市生まれ。小3からラグビーを始め、現役時代は俊足WTBとして活躍。秋田工で全国制覇し、明大入り。1年時の87年「雪の早明戦」でもトライ。88年19歳で日本代表入りし、89年スコットランド戦でトライ、歴史的勝利に貢献。主将時の90年は大学選手権日本一。91年伊勢丹入社、同年W杯ジンバブエ戦で2トライし、W杯初勝利。92年世界選抜にも選ばれる。95年W杯にも出場し、日本代表キャップ30。04年引退。
※記録と表記は当時のもの