カーママ小笠原歩が混合ダブルス 平昌五輪へ再挑戦

07年11月、混合ダブルスで敦賀(左)とコンビを組む小笠原

 カーリング女子の小笠原歩(38=北海道銀行)が、新種目混合ダブルスで平昌五輪に再挑戦することが13日、分かった。平昌につながる日本選手権(3月1~5日、北海道北見市)への出場意思を日本カーリング協会に伝えた。北海道銀行で臨んだ5日までの日本選手権は敗退したが、男女1人ずつでコンビを組む新種目に電撃チャレンジ。娘で、母で活躍した女子カーリング界の象徴が新種目で4度目の五輪を狙う。

 涙の終戦からわずか1週間。「カーママ」こと14年ソチ五輪5位のスキップ小笠原が新種目の混合ダブルスで4度目の五輪に向かう。日本協会に3月の日本選手権への出場意思を伝えたことが判明した。優勝すれば、日本代表として平昌五輪の枠どりがかかる世界選手権(4月22~29日、カナダ)に出場する方向だ。

 混合ダブルスは男女1人ずつの2人で行う。平昌五輪から採用され、日本協会も力を入れている。今月5日までの日本選手権は男子はSC軽井沢ク、女子は中部電力が優勝。単一チームとして平昌出場がなくなった選手に対し、混合ダブルスでの五輪挑戦の意思を確認していた。小笠原はその呼びかけに応じた形。混合ダブルス日本選手権は従来の地区代表に加えて、日本協会の推薦枠が設定される見通し。同じく出場意思を示した男子選手との組み合わせも含め、日本協会が今後、推薦枠のチームを検討して、決めることになる。

 女子カーリング界の象徴にふさわしい、チャレンジだ。小笠原は盟友船山とともに3度の五輪出場。ただ今回は日本選手権で敗れて涙した。敗戦直後には進退を保留して「日本のカーリング界にいろんな刺激を与えられるなら光栄。今は(選手として)一番いい状態」と話していた。その答えが混合ダブルスだった。

 「カーママ」として競技の地位向上に貢献した38歳が挑めば、なじみのない新種目も注目度もアップする。小笠原は07年12月に初開催の混合ダブルス日本選手権で98年長野五輪5位スキップの敦賀信人と組んで、準優勝した経験もある。

 平昌への道は簡単ではない。五輪出場国は男女の10チームに比べて少ない8チーム。日本協会は、4月の世界選手権で五輪出場枠をとるためには3位以内が必要とみる。ただ平昌への道が開かれている。女子カーリング界の道のりをそのまま体現してきた小笠原が、電撃的に、そして果敢に新種目で平昌五輪を目指す。

 ◆小笠原歩(おがさわら・あゆみ)旧姓小野寺。1978年(昭53)11月25日、常呂町(現北見市)生まれ。札幌学院大卒。12歳から競技を始める。五輪は02年ソルトレークシティーで初出場。06年トリノ五輪出場後に結婚して09年出産。10年に船山(旧姓林)弓枝とともに現役に復帰。2大会ぶりに出場した14年ソチ五輪は5位。日本選手団の旗手も務めた。スキップ。

 ◆混合ダブルス 男女混合の2人制で、1エンド5投ずつ、計8エンドで争う。デリバリー(ストーンを投げる動作)、スイープ、スキップをすべて2人でこなす。事前に自分と相手のストーンを各1個置いてから、競技するなど戦略性に富む。本来の4人制(男女別、1エンド8投ずつ、計10エンド)に比べて、少ない人数で競技可能。18年平昌五輪から正式種目。

 ◆混合ダブルスの平昌への道 五輪出場枠は開催国韓国を含めて8チーム。3月の日本選手権で優勝したチームが、4月の世界選手権に出場する。五輪出場枠は昨年と今年の世界選手権の順位で獲得できる五輪ポイント(P)の合計で韓国を除く7枠が決定。現在の日本は0Pのため、3位以内の好成績が求められる。五輪出場枠を獲得すれば、9月にあらためて日本代表決定戦を行う見通し。