信じた野球の力。11年4月12日、楽天嶋のホームランボールを手にした青年の人生

東日本大震災と野球。日刊スポーツは、連載「野球の国から」の中で群像を描いてきました。国難から立ち上がろうとする折々、白球から授かる力。一端でも伝えられたら、と願います。(2015年3月3日掲載。所属、年齢などは当時。敬称略)

プロ野球

「3・11が教えてくれた野球の力」を送ります。東日本大震災から4年を迎える今、「野球の国から」力強い足音が聞こえてきます。岩手の三陸海岸には、荒野に球音を取り戻そうと燃える面々がいます。津波で壊滅的な被害を受けた石巻から、プロの世界を目指すチームがあります。福島に根を張り、第2の野球人生を踏み出そうとする男たちがいます。「災い転じて―」の群像を追えば、我々日本人と野球の深い絆が浮き彫りになります。第1回は「白球が人生を変えた〈1〉」。4年前に偶然手にしたホームランボールが、1人の青年を奮い立たせます。

2015年1月29日、楽天嶋のホームランボールを手にする日本テレビの石塚さん

2015年1月29日、楽天嶋のホームランボールを手にする日本テレビの石塚さん

無数の手 頭真っ白

幸運が飛んできた。ライナーでフェンスを越えてきた。数メートル前で一跳ねして、足元に飛び込んできた。

無数の手が伸びてくる。負けじと手を伸ばす。捕った ! 頭は真っ白だった。うれし泣きする人を見て、ようやく手にした物の意味を理解した。ボールを握りしめ、友人と抱き合った。

4年前の4月12日だった。震災の影響で、半月遅れで始まったプロ野球の開幕戦。楽天ファンの石塚友祐(25、当時21)はQVCマリンの左中間席にいた。同点に追いつき、迎えた7回2死一、三塁。嶋がロッテ成瀬の初球を振り抜き、決勝の3ランを放った。

★11年4月12日◇ロッテ―楽天1回戦(QVCマリン)VTR ロッテ成瀬、楽天岩隈の両エースが先発。ロッテが4回に1点先制も、楽天は6回、聖沢が同点犠飛。7回には嶋が勝ち越し3ランを放った。さらに8回、山崎、高須の連続適時打で2点を加え突き放した。ロッテも9回、福浦の3ランで反撃したが及ばず、6―4で楽天が勝利した。8回 1/3 、4失点の岩隈が2年ぶりの開幕勝利を挙げた。

2011年4月12日、東北を応援するプラカードを持つ楽天ファン

2011年4月12日、東北を応援するプラカードを持つ楽天ファン

ボールは今、プラスチックケースに入れられ、自宅の机の上に鎮座する。石塚は日本テレビでスポーツ中継の仕事をしている。どんなに疲れて帰っても、ボールを見れば元気が湧いてくる。よし、また明日も頑張ろう、と。

「2011シーズン 第1号」。フェルトペンで誇らしげに記された横に「楽天37」の文字とサインが輝いている。

石塚 僕にとって本当に人生を変えてくれた1球です。本当に、人生がこの1球で変わりました。自分の考えも全て。

「触らせてもらえませんか」

一躍〝時の人〟だった。震災球団の開幕戦だ。ボールを手に入れた直後から、メディアが駆け付け、取材がひっきりなしだった。

興奮気味に答えていると、中年の男性に声をかけられた。「触らせてもらえませんか」。

被災地から来たという。「全員では来られなくて。残った家族は避難所のテレビで見てます。ボールを触ると元気をもらえると思うんだ」。振り返ると、50人を超える列ができていた。快く差し出した。「あの方の言葉が、ずっと耳に残っていました」。

1977年3月生まれ、福岡市出身。平和台球場がプロ野球観戦の原点。センター裏のうどんが美味しかった。高校ではラグビーにいそしんだが、背番号はだいたい18番。取材でも控え選手に引かれる理由かも。
大学卒業後は外務省に入り、旧ユーゴスラビア諸国で勤務。街中を普通にプロシネチキが歩いているような環境だったが、サッカーには入れ込まなかった。むしろ、野球熱が再燃。30歳を前に退職し、2006年6月、日刊スポーツ入社。斎藤佑樹の早実を皮切りに、横浜、巨人、楽天、ロッテ、西武、アマチュア、侍ジャパン、NPBと担当を歴任。現在はデスク、たまに現場。
好きな選手は山本和範(カズ山本)。オールスターのホームランに泣いた。