震災直後、松井秀喜がホームランボールを渡してくれた…その意味とは

誰もが不安だった震災直後に、当時アスレチックスの松井秀喜が何気なく渡したホームランボール。受け取ったカメラマンは、その意味を考えます。

(2015年3月4日掲載、所属、年齢などは当時。敬称略)

MLB

松井秀喜が放ったホームランボールを、本人から受け取った人がいる。共同通信社カメラマンの尾形祐介(30)。宮城・栗原市の実家を案じながら、アメリカで取材を続けていた最中の出来事だった。普段は報じる立場の人間が逆の立場となる。葛藤しながら「ゴジラが手渡した」意味を考え、自分の力に変えていく。

2015年2月27日、松井から渡されたボールを手にする尾形カメラマン

2015年2月27日、松井から渡されたボールを手にする尾形カメラマン

車の陰に大男

そのボールは、貴重品を守るスポンジシートで覆われていた。

尾形が丁寧にシートを外すともう一重、クリアケースにも守られていた。強烈にバットとこすれたのだろう。ヤスリで削った跡に似た茶色の傷が、5センチほど刻まれていた。

中央には、松井秀喜のサインが青いボールペンで記されていた。「尾形カメラマンへ」と添えてあった。「年々、色が薄くなってきました。いつか消えてしまうんでしょうか」。革に同調しかけた筆致が、4年の月日を物語っていた。

2011年3月13日、アスレチックス松井が放ったホームランボール

2011年3月13日、アスレチックス松井が放ったホームランボール

2011年の3月13日(日本時間14日)。米アリゾナ州、フェニックス。アスレチックス松井は、ロッキーズとのオープン戦で移籍1号となる本塁打を放った。共同通信社のカメラマンである尾形は、新天地のゴジラを撮影していた。「ようやく出たな。大きなホームランだ」。推定飛距離140メートルの1本を、外野スタンドから、ファインダー越しに見届けた。

試合後、周囲から「松井さんから渡したい物があるそうだ。あそこにいるから」と言われた。クラブハウスから100メートルほど離れた駐車場に、赤の大型ピックアップ車が止まっていた。向かうと、車の陰に身をかがめた大男がいた。松井だった。「大変だと思うけど、頑張って」と言われ、ホームランボールを渡された。尾形は宮城・栗原市の出身だった。「うまく言えないんですけど」。瞬間、思い切り泣いていた。

尾形カメラマンが受け取った松井のホームランボール

尾形カメラマンが受け取った松井のホームランボール

不思議に思った。出会って数週間。親しい間柄ではない。「家族が亡くなったわけではない。家が流されたわけでもない」。なぜ自分にボールをくれたのだろう。なぜ「頑張って」と言ったのだろう。

1999年入社。整理部―2004年の秋から野球部。担当歴は横浜(現DeNA)―巨人―楽天―巨人。
遊軍―デスク―デジタル戦略室―コンテンツ本部―野球部部長。
好きな取材対象は投手、職人、年の離れた人生の先輩。好きな題材は野球を通した人間関係、カテゴリーはコラム。
趣味は朝サウナ、子どもと遊ぶこと、PUNPEEを聴くこと。