北海道、神戸、東日本…3度震災経験の佐藤義則さん「頑張ってくれとは、言えない」

「美談を話させようとするのは嫌いだ」。太い釘を刺してから始まったヨシさんの語り。強さと優しさに満ちていました。(2015年3月11日掲載。所属、年齢などは当時。敬称略)

プロ野球

「ヨシさん」と呼ばれて誰からも愛される野球人がいる。ソフトバンク佐藤義則投手コーチ(60)は北海道・奥尻島の出身。1993年(平5)の大地震で親族を亡くしている。現役時代はオリックスで阪神・淡路大震災を経験した。11年は楽天のコーチとして…。痛みを乗り越えて築いた野球観を追う。

◆佐藤義則(さとう・よしのり)1954年(昭29)9月11日、北海道・奥尻町生まれ。日大から76年ドラフト1位で阪急(現オリックス)入団。現役通算21年で165勝137敗、48セーブの成績を残した。選手の長所を伸ばす指導に定評があり、投手コーチとして阪神、日本ハム、楽天、ソフトバンクでリーグ優勝、日本一に貢献した。181センチ、86キロ。右投げ右打ち。

2018年2月16日、練習中に笑顔を見せる楽天佐藤コーチ

2018年2月16日、練習中に笑顔を見せる楽天佐藤コーチ

盛り上がる右親指

うそがつけない。佐藤は「地震の取材は好きじゃない」と最初に断った。北海道・奥尻島、神戸、仙台。3度の大地震を経験した。「聞き方次第。美談を話させようとするのは嫌いだ」とぐいのみを傾けた。

右親指の第1関節、内側が2センチほど盛り上がっていた。親指と人さし指でボールを挟み、抜き落とした。「ヨシボール」なる変化球を開拓し165勝を積んだ。手は口ほどに物を言う。小さくても厚い職人の手だった。

ぼそりと「オレは、強い人間なんて1人もいないと思ってる。田舎者だから。本気で人を怒れないんだ」と緊張を解き、眉を下げた。

彫り込んだ笑いじわが際立った。顔は内面を映す。たおやかな海の顔に投手は委ねる。名コーチたる一番の理由だった。

イカ漁師の息子

海の力をよく知っていた。奥尻のイカ漁師の家に生まれた。中学まで肉を食べたことがなかった。「小さいころから船に乗せてもらって。太平洋と違って揺れる。でも釣ったら小遣いをもらえてな。魚は体にいいんだ」と言って、かんらと笑った。「1勝するごとに花火を打ち上げてくれたんだよ」。おおらかな島民に愛されて、44歳まで現役だった。

感謝が大きな分、痛みも大きかった。1993年(平5)7月12日の夜だった。「奥尻島が大変なことになっている」。関西で地震の報を受けた。

当時は携帯電話が普及していなかった。ようやくつながったのに「叔母が津波に流されたようだ」と言われた。指で奥尻島の地図を描いた。「叔母の家は低地にあった。水は、低い方、低い方へ流れると知った。100メートル違ったら無事なのにな」。

オリックス球団が見舞金を渡してくれた。「病気と違って突然で。ショックで。見つかるまでは」と受け入れたくなかった。帰郷は10日間を過ぎていた。高台の奥尻空港から、海が流したふるさとを見下ろした。「よく遺体を見つけてくれた」と思うしかなかった。

2014年3月21日、ベンチから戦況を見守る星野監督(左)と佐藤コーチ

2014年3月21日、ベンチから戦況を見守る星野監督(左)と佐藤コーチ

右袖の違和感

2年後の1月17日。早朝に震度7の突き上げを食らった。

仲間の多くが日常を奪われた。キャンプは自主参加で、と言われた。全員が集まった。高速道路が倒れている状況で神戸を離れた。「『開幕戦、どうやって球場に行くんだろう。単車かな』なんて話していた。野球が6割、心配が4割くらい。で、戻るでしょ。道が通っているんだよな。人間の力はすごいな」。40歳で開幕投手を任された。

マウンドに向かおうと歩くと、違う雰囲気があった。「お客さんがいっぱいで、拍手で迎えてくれて。うれしかったよ。でもね」と言い「誤解されるかもしれないが」と断った。

「それは一瞬だな。お客さんが多かろうが少なかろうが、投げるボールには関係がない。マウンドに立ったら、相手をどうやって抑えるか、どうやって試合に勝つか。それしか頭にない。勝負の世界はそんなに甘くない。余計なことを考えていたら、勝てない」

ユニホームの右袖には「がんばろうKOBE」とあった。違和感があった。考えたのは、9文字が向かうベクトルだった。「精いっぱい頑張っている人に向かって『がんばろう』…。言えないな。分かっているから。自分自身に『がんばろう』って言い聞かせた。がんばって投げて、勝とうと思うようにした」。

40歳11カ月のノーノー

オリックスは勝ち進んだ。佐藤は8月26日の近鉄戦でノーヒットノーランを達成する。

40歳11カ月のノーヒッターは、当時の最年長記録だった。「がんばろうKOBE」の象徴としてピックアップされた風潮もまた、好きではなかった。「1人を抑えることに集中していただけ」と流し「ただ」とつぶやいた。

「あの年は、日替わりヒーローがたくさん出た。いわゆる守備の人が、決勝打をよく打った。1人1人が『がんばろう』と思って野球をしていた証しなんじゃないか」と人ごとの方を喜んだ。

2014年5月28日、楽天星野監督の77番のユニホームをベンチのイスにかけ、試合を見つめる佐藤監督代行(左から3人目)ら

2014年5月28日、楽天星野監督の77番のユニホームをベンチのイスにかけ、試合を見つめる佐藤監督代行(左から3人目)ら

有事も平時も関係ない。勝つために「がんばる」。佐藤の野球観は固まっていた。若い楽天の選手たちに、同じ立ち位置を求めるのは早かった。

1999年入社。整理部―2004年の秋から野球部。担当歴は横浜(現DeNA)―巨人―楽天―巨人。
遊軍―デスク―デジタル戦略室―コンテンツ本部―野球部部長。
好きな取材対象は投手、職人、年の離れた人生の先輩。好きな題材は野球を通した人間関係、カテゴリーはコラム。
趣味は朝サウナ、子どもと遊ぶこと、PUNPEEを聴くこと。