【キムタクさんを悼む】「あきらめずに可能性を探ることも必要」記者も聞き入った言葉

2010年の4月7日、巨人のコーチを務めていた木村拓也さんが亡くなりました。思い出してもらうこと。忘れないでいてもらうこと。番記者の役目です。(2010年4月8日掲載。所属、年齢などは当時)

プロ野球

新人研修会で講師

木村拓コーチを最後に取材したのは3月25日、開幕前日だった。

東京ドームでのチーム練習に、真新しいノックバットを持って来ていた。「しっくりくるバットが、なかなか見つからないんだよ」と話していた。2月の宮崎キャンプでは連日、若手に居残りノック。合間を縫って、ノックの練習を繰り返していた。

どんな仕事にもプレー同様、全力で取り組んだ。キャンプ中の実戦から何度か三塁コーチを務めた。「サインを出すのは難しい」と夜中に1人、部屋の鏡に映る自分の姿を見ながらサインの練習をしていたという。

1977年3月生まれ、福岡市出身。平和台球場がプロ野球観戦の原点。センター裏のうどんが美味しかった。高校ではラグビーにいそしんだが、背番号はだいたい18番。取材でも控え選手に引かれる理由かも。
大学卒業後は外務省に入り、旧ユーゴスラビア諸国で勤務。街中を普通にプロシネチキが歩いているような環境だったが、サッカーには入れ込まなかった。むしろ、野球熱が再燃。30歳を前に退職し、2006年6月、日刊スポーツ入社。斎藤佑樹の早実を皮切りに、横浜、巨人、楽天、ロッテ、西武、アマチュア、侍ジャパン、NPBと担当を歴任。現在はデスク、たまに現場。
好きな選手は山本和範(カズ山本)。オールスターのホームランに泣いた。