【夢幻のグローバル・リーグ:第3話】「ホテル代486万円払え」でカラカス大脱出

野球が日本に伝わり、2022年で150周年を迎えました。野球の歴史を振り返る不定期連載Season2は、国際化の先駆けとも言える、あるリーグに焦点を当てます。事実は小説よりも奇なり、全9回。(敬称略)

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ずさんすぎた運営

1969年(昭44)の1シーズンだけ開かれた国際野球リーグ「グローバル・リーグ」。渡航費が送られてこなかったり、月600ドル(当時約22万円)の契約書には不備が多かったり、開幕前から不安の種は尽きなかった。

嫌な予感が現実となるのは、開幕してすぐ、5月に入ってからだ。

ベネズエラに滞在を続ける東京ドラゴンズのもとに、アメリカのリーグ本部から5月分の給料が送られてこなかった。監督の森徹は国際電話などで本部にかけあったが、会長のディルベックがつかまらない。早くも、資金繰りに行き詰まったようだ。

◆森徹(もり・とおる)1935年(昭10)11月3日、旧満州(現中国東北部)生まれ。早大学院から早大に進む。東京6大学リーグでは立大・長嶋と同期で、2年時の55年春から3季連続を含む4度のベストナイン。58年に中日入りし、2年目で4番を打ち31本塁打、87打点の2冠。1年目の58年から3年連続で外野手のベストナインに選ばれた。62年から大洋(現DeNA)、66年から東京(現ロッテ)。68年限りで引退。通算1177試合、971安打、189本塁打、585打点、打率2割5分1厘。オールスター5度出場。武道の達人でもあり、柔道、合気道、空手で6段。11年から全国野球振興会の理事長。14年2月6日、肝細胞がんのため死去。78歳。現役時は173センチ、95キロ。右投げ右打ち。

森は「地元の興行師にだまされた」とも語っている。このような状況でリーグ戦が続行できるはずもない。結局、7勝目を挙げた5月16日のベネズエラ戦を最後に試合は止まった。

それでも森は諦めなかった。代理監督を元巨人の矢ノ浦国満に託し、5月15日、帰国の途に就く。早々に失敗した中南米シリーズに代わり、極東地域でリーグ戦を開催できないか。リーグ本部の提案を受けていた。

ウイスキーを手に、くつろいだ表情を見せる森徹さん(森郁さん提供)。広い人脈を生かし、新リーグ設立へ奔走した

ウイスキーを手に、くつろいだ表情を見せる森徹さん(森郁さん提供)。広い人脈を生かし、新リーグ設立へ奔走した

給料を払わないくせに虫のいい話ではあったが「選手たちのためにも」と単身、日本に戻った。

1977年3月生まれ、福岡市出身。平和台球場がプロ野球観戦の原点。センター裏のうどんが美味しかった。高校ではラグビーにいそしんだが、背番号はだいたい18番。取材でも控え選手に引かれる理由かも。
大学卒業後は外務省に入り、旧ユーゴスラビア諸国で勤務。街中を普通にプロシネチキが歩いているような環境だったが、サッカーには入れ込まなかった。むしろ、野球熱が再燃。30歳を前に退職し、2006年6月、日刊スポーツ入社。斎藤佑樹の早実を皮切りに、横浜、巨人、楽天、ロッテ、西武、アマチュア、侍ジャパン、NPBと担当を歴任。現在はデスク、たまに現場。
好きな選手は山本和範(カズ山本)。オールスターのホームランに泣いた。