【球界セカンドキャリア~コロナ前〈2〉】製薬会社,介護職…転職4度の焼き鳥店主
ユニホームじゃない…セカンドキャリアの取材は、背筋が伸びます。6年前、スーツ姿で取材を受けてくれた、ベイスターズOB・吉原道臣さんは、客観と情熱のバランスが印象的。現在は都内で焼き鳥店を経営しています。(2016年5月25日掲載。所属、年齢など当時。文中敬称略)
プロ野球
元ベイスターズ 吉原道臣さん
引退後の希望進路先として、一般企業の会社員の人気が上昇している。日本野球機構(NPB)が若手選手を対象にした昨秋アンケートで前年7位から3位に浮上した。元横浜(現DeNA)投手の吉原道臣氏(34)は10年秋に引退後、サラリーマンに転身。障がい者スポーツの普及活動にも携わっており、元プロ野球選手の経験が生きている。
スーツ姿が決まっていた。西新宿のビジネス街。「うちは、2020年にはビジネスフォンのない社会の実現を目指しています」と熱く訴える。
名刺の名は「吉原道臣」。情報通信技術(ICT)機器やソフトウエアの製造・販売を手がける「オフィス24」に勤務している。元横浜の投手だ。
入社2年目で広報と人事を担当。電車で毎朝8時半に出勤する。ある日の午前中は企画会議に出席。午後は新入社員の採用面接だ。夕方6時に退社し、近くの体育館へ。
同社は、障がい者も楽しめるシッティングバレーの日本代表スポンサー。体験教室を開き、東京パラリンピックに向けた普及活動を行っている。元プロ野球選手の腕の見せどころだ。忙しい毎日も「充実してます。今が一番楽しいですね」と笑顔。ここまで決して順調ではなかった。
プロ4年目の10年秋、覚悟していた戦力外通告を受けた。
2年目に主に中継ぎで25試合に投げ、11試合連続無失点。そこが頂点だった。オフに右肘クリーニング手術。その後は1軍登板なく、2度のトライアウトも他球団の誘いはなかった。「けじめはついた。就職活動だ」と腹を決めた。
つてがあり、すぐに製薬会社に就職できたのは良かった。営業マンとして必死に働いた。自社製品はもちろん、薬事法を一から勉強。しかし、約2年で会社の業績悪化に伴うリストラに遭う。
「戦力外の時よりショックでした。心の準備がなかったから」。外資系企業のシビアな面を知った。
1977年3月生まれ、福岡市出身。平和台球場がプロ野球観戦の原点。センター裏のうどんが美味しかった。高校ではラグビーにいそしんだが、背番号はだいたい18番。取材でも控え選手に引かれる理由かも。
大学卒業後は外務省に入り、旧ユーゴスラビア諸国で勤務。街中を普通にプロシネチキが歩いているような環境だったが、サッカーには入れ込まなかった。むしろ、野球熱が再燃。30歳を前に退職し、2006年6月、日刊スポーツ入社。斎藤佑樹の早実を皮切りに、横浜、巨人、楽天、ロッテ、西武、アマチュア、侍ジャパン、NPBと担当を歴任。現在はデスク、たまに現場。
好きな選手は山本和範(カズ山本)。オールスターのホームランに泣いた。
