【帝京・前田三夫の人生〈2〉】やけ酒せず、日比谷公園に通い「なんで負けたんだ?」
就任50年目の21年夏に勇退した帝京(東京)・前田三夫監督(72=現名誉監督)が、監督として過ごした半世紀を振り返りました。22歳の就任初日「甲子園に行こう」と呼び掛けたら、約40人いた部員が2週間ほどで4人まで減ったのは語り草。逆風のスタートから甲子園に26回の出場を重ね、歴代5位タイの51勝を積み上げ、3度の日本一に輝きました。今だから明かす秘話、勝負哲学、思い出に残るチームや選手たち、高校野球界へのメッセージ…9回連載です。
高校野球
前田監督は、甲子園通算74試合で51勝23敗を残した。歴代5位タイの勝利数を誇るが、一番印象に残る試合を聞かれると「最初かな。何もできなかった」と即答した。就任7年目、28歳にして初めて出場した78年センバツは、1回戦で小倉(福岡)に0―3。わずか5安打で、2時間もたずに敗れた。
初出場78年センバツ 小倉に完敗で悟り
「感激で終わっちゃいましたね。監督で行ったのに、甲子園球児でしたよ」と懐かしんだ。
初めての甲子園が完敗で終わったことが、その後の監督人生の指針となった。「やっぱり、甲子園は1回でも生徒に勝たせてあげなきゃダメだ。出るだけのところじゃない」と心に刻んだ。
監督生活50年。地方大会を含め、どれだけ負けたことか。ただ、負けこそ貴重だと考える。「絶対にね、負けは大事にしなきゃダメですよ」と前置きして、続けた。
「僕が今まで後悔しなかったのは、胸張って言えるのは、負けた直後に『今日は飲んで忘れちゃおう』というのが1回もなかったことです」
やけ酒はしなかった。「若いときはお金もなかった」こともあるが、大会で敗れた日は、とことん負けに向き合った。「若いときは、家に帰っても寂しい。新宿をうろうろしましたよ。明るいところをね」。繁華街をさまよいながら、試合を振り返った。
1977年3月生まれ、福岡市出身。平和台球場がプロ野球観戦の原点。センター裏のうどんが美味しかった。高校ではラグビーにいそしんだが、背番号はだいたい18番。取材でも控え選手に引かれる理由かも。
大学卒業後は外務省に入り、旧ユーゴスラビア諸国で勤務。街中を普通にプロシネチキが歩いているような環境だったが、サッカーには入れ込まなかった。むしろ、野球熱が再燃。30歳を前に退職し、2006年6月、日刊スポーツ入社。斎藤佑樹の早実を皮切りに、横浜、巨人、楽天、ロッテ、西武、アマチュア、侍ジャパン、NPBと担当を歴任。現在はデスク、たまに現場。
好きな選手は山本和範(カズ山本)。オールスターのホームランに泣いた。
