【帝京・前田三夫の人生〈3〉】「引退試合なんて見たくない」20年夏、魂の東東京V

就任50年目の21年夏に勇退した帝京(東京)・前田三夫監督(72=現名誉監督)が、監督として過ごした半世紀を振り返りました。22歳の就任初日「甲子園に行こう」と呼び掛けたら、約40人いた部員が2週間ほどで4人まで減ったのは語り草。逆風のスタートから甲子園に26回の出場を重ね、歴代5位タイの51勝を積み上げ、3度の日本一に輝きました。今だから明かす秘話、勝負哲学、思い出に残るチームや選手たち、高校野球界へのメッセージ…9回連載です。

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帝京を率いて50年。その間、甲子園に26度も出た前田監督だが、11年夏を最後に出場から遠ざかった。惜しい年は何度かあったが、あと1歩が届かなかった。毎年、地方大会が始まると、ネットには「そろそろ、甲子園で帝京が見たい」といったコメントが並ぶようになった。

そんな待望論の中、20年夏、ついに東東京で頂点に立った。

関一との死闘 9回同点スクイズ、延長サヨナラ

加田主将を中心にまとまり、初戦から快進撃を続けた。決勝では、安定した実力を保つ関東第一と激突。1点を追う9回、1死から好機をつくり、武藤が同点スクイズ。土壇場で追いつくと、延長11回に新垣のサヨナラ打が飛び出し、3―2で勝利した。

互いに譲らぬ熱戦は、見る者の心を打った。帝京の夏の優勝は9年ぶりだった。

しかし、優勝しても甲子園には行けなかった。新型コロナウイルス拡大により、甲子園大会自体が中止に。都高野連による独自大会として開かれたからだ。せっかく、久しぶりに優勝したのに…。OBや関係者ならずとも、皮肉な事実に、多くのファンが何とも言えない気持ちにさせられた。

前田監督も「残念な気持ちもありました」と打ち明けた。が、それ以上に喜びの方が大きかったという。

「しばらく優勝から遠ざかってましたのでね。甲子園はないけども、僕自身としてみれば、やっぱり、うれしさがありましたよ」

関東第一にサヨナラ勝ち。東東京を制す=2020年8月8日

関東第一にサヨナラ勝ち。東東京を制す=2020年8月8日

「選手たちは一生懸命やりました」と、当時のチームをたたえた。ただ、優勝までの道のりでは〝喝〟も入れていた。

1977年3月生まれ、福岡市出身。平和台球場がプロ野球観戦の原点。センター裏のうどんが美味しかった。高校ではラグビーにいそしんだが、背番号はだいたい18番。取材でも控え選手に引かれる理由かも。
大学卒業後は外務省に入り、旧ユーゴスラビア諸国で勤務。街中を普通にプロシネチキが歩いているような環境だったが、サッカーには入れ込まなかった。むしろ、野球熱が再燃。30歳を前に退職し、2006年6月、日刊スポーツ入社。斎藤佑樹の早実を皮切りに、横浜、巨人、楽天、ロッテ、西武、アマチュア、侍ジャパン、NPBと担当を歴任。現在はデスク、たまに現場。
好きな選手は山本和範(カズ山本)。オールスターのホームランに泣いた。