【帝京・前田三夫の人生〈4〉】とっさに「神宮の空気を吸いに来ました」と言えるか
就任50年目の21年夏に勇退した帝京(東京)・前田三夫監督(72=現名誉監督)が、監督として過ごした半世紀を振り返りました。22歳の就任初日「甲子園に行こう」と呼び掛けたら、約40人いた部員が2週間ほどで4人まで減ったのは語り草。逆風のスタートから甲子園に26回の出場を重ね、歴代5位タイの51勝を積み上げ、3度の日本一に輝きました。今だから明かす秘話、勝負哲学、思い出に残るチームや選手たち、高校野球界へのメッセージ…9回連載です。
高校野球
8強から先の厳しさ
昨秋、前田監督は初めて「名誉監督」として大会を迎えた。現指導陣への配慮から、本大会には1度しか足を運ばなかった。8強で敗れた新チームを「よくやったと思いますよ」。今は2、3日に1度、グラウンドに立つが「なるべく指導はしないようにしてます。新しい指導者を育てないと」。聞かれれば答えるスタイルを保っている。
もっとも、現役監督だったころから「教えすぎない」ようにしていた。ひと言、ふた言と言葉をかけ、選手が良くなっていくのを見守った。それが楽しみだった。
第一線から引いた今でも、気持ちは変わらない。帝京の活躍を願うからこそ、秋の結果を評価しつつ、現指導陣への率直な言葉も紡いだ。
「まだ勢いだけだな、という感じが見受けられました。ベスト8から力を発揮すれば面白かったんだけど。これからの指導者の課題だなと思います」
準々決勝で、優勝した国学院久我山に敗れた。名誉監督が唯一、足を運んだのが、その準々決勝だった。というのも「ベスト8ぐらいからの厳しさというのがありますから。今のチームがどう動けるのか。だから、ベスト8で観に行きました」。勢いだけでは、3点差(4―7)を詰められなかった。
センバツが当確となる優勝には、さらに3つ勝たないといけなかった。そのために必要なものは? 「ただ勢いだけじゃ勝てません」。やはり、猛練習が欠かせない? 「一生懸命、練習しても、それだけでは勝てません」。
では、何が必要なのか?
1977年3月生まれ、福岡市出身。平和台球場がプロ野球観戦の原点。センター裏のうどんが美味しかった。高校ではラグビーにいそしんだが、背番号はだいたい18番。取材でも控え選手に引かれる理由かも。
大学卒業後は外務省に入り、旧ユーゴスラビア諸国で勤務。街中を普通にプロシネチキが歩いているような環境だったが、サッカーには入れ込まなかった。むしろ、野球熱が再燃。30歳を前に退職し、2006年6月、日刊スポーツ入社。斎藤佑樹の早実を皮切りに、横浜、巨人、楽天、ロッテ、西武、アマチュア、侍ジャパン、NPBと担当を歴任。現在はデスク、たまに現場。
好きな選手は山本和範(カズ山本)。オールスターのホームランに泣いた。
