【帝京・前田三夫の人生〈9〉】「負けは財産。僕は逃げなかったから50年できた」

就任50年目の2021年夏に勇退した帝京(東京)・前田三夫監督(72=現名誉監督)が、監督として過ごした半世紀を振り返りました。22歳の就任初日「甲子園に行こう」と呼び掛けたら、約40人いた部員が2週間ほどで4人まで減ったのは語り草。逆風のスタートから甲子園に26回の出場を重ね、歴代5位タイの51勝を積み上げ、3度の日本一に輝きました。今だから明かす秘話、勝負哲学、思い出に残るチームや選手たち、高校野球界へのメッセージ…9回連載です。

高校野球

栄養あっても体力低下

前田名誉監督に、これからの高校野球はどうあるべきかを尋ねた。1週間500球の球数制限や、降雨コールドやノーゲームに代わる継続試合が導入された。半世紀にわたり、指導してきたからこその知見を聞いた。「まず、気候の変動。暑さが昔と違う。そういうことも考えなきゃいけない」と切り出し、続けた。「今の子どもたちは体はでかいんですけど、体力的な強化は正比例してない。体はでかくなってるけど、体幹がものすごく弱い」。

要因として、育った環境の変化を指摘する。「昔は山で遊んだり、木登りしたり、駆けっこしたり。それが、今はゲームでしょう。もう基礎が違います。(昨年の)夏まで生徒を指導して感じたことですね。栄養はあっても、体力が低下している」と実感を込めて言った。だから、球数制限や継続試合は「体力的な面を考えれば仕方ない」と考える。

ただ、声を大にして続けた言葉は、これからの指導者たちへの“注文”とも言えた。

1977年3月生まれ、福岡市出身。平和台球場がプロ野球観戦の原点。センター裏のうどんが美味しかった。高校ではラグビーにいそしんだが、背番号はだいたい18番。取材でも控え選手に引かれる理由かも。
大学卒業後は外務省に入り、旧ユーゴスラビア諸国で勤務。街中を普通にプロシネチキが歩いているような環境だったが、サッカーには入れ込まなかった。むしろ、野球熱が再燃。30歳を前に退職し、2006年6月、日刊スポーツ入社。斎藤佑樹の早実を皮切りに、横浜、巨人、楽天、ロッテ、西武、アマチュア、侍ジャパン、NPBと担当を歴任。現在はデスク、たまに現場。
好きな選手は山本和範(カズ山本)。オールスターのホームランに泣いた。