【死去5年】星野仙一がこよなく愛した晩秋の散歩道 ホテルオークラ~アメリカ大使館

1月4日は星野仙一さんを思い出す日。亡くなって5年、当時の番記者がエッセーを綴りました。昨年の10月、思わぬきっかけで懐かしい場所に行き当たります。(敬称略)

プロ野球

◆星野仙一(ほしの・せんいち)1947年(昭22)1月22日生まれ、岡山県出身。倉敷商から明大を経て、68年ドラフト1位で中日入団。エースとしてチームを支え、優勝した74年には沢村賞を獲得。82年引退。通算500試合、146勝121敗34セーブ、防御率3・60。古巣中日の監督を87~91年、96~01年と2期務め、88、99年と2度優勝。02年阪神監督に転じ、03年には史上初めてセの2球団を優勝へ導き同年勇退。08年北京五輪で日本代表監督を務め4位。11年に楽天監督となって13年に日本一を果たし、14年退任した。17年野球殿堂入り。18年1月4日午前5時25分、膵臓(すいぞう)がんのため70歳で死去した。

頭蓋咽頭腫

昨年の夏から、左目が少しずつ霞むようになった。46歳。「パソコンのしすぎか、老眼かな」。軽い気持ちで丸の内線に乗り、新宿三丁目に向かった。

伊勢丹8階の「999.9」で「レンズを交換したいんです」。検査をすると、店員が小首をかしげた。

学生時代から同じ店で眼鏡を作っていた。「…視力の変化を見ても、今回だけ、明らかにおかしいです。急に左目だけ、矯正できないほど悪くなっていますので」。散歩がてらついてきた6歳の娘が不穏な空気を察し、暇つぶしに渡したスマートフォンで撮影している。

すぐに眼科の受診を勧められた。「網膜剝離や白内障、緑内障の可能性がありますね」。

眼科での精密な検査も、ふに落ちるには程遠かった。「視力がガクンと落ちているのに、目自体に異常ないのが、かえっておかしい」と総合病院の紹介状をもらった。

朝から、いくつの科を回っただろう。脳神経外科の先生が、MRIの画像を見ながら「頭蓋咽頭腫の疑いがあります」と言った。「ここでは…虎の門病院に紹介状を書きます」。

◆頭蓋咽頭腫(ずがいいんとうしゅ)脳の真ん中、奥深くにできる良性の腫瘍。初期に自覚症状はなく、視神経を圧迫しての視野障害をきっかけに発覚することが多い。100万人に2~3人が発症する珍しい病気。幼少期と40~60代に発症のピークがある。開頭のダメージを回避するため、最近では鼻を経由した摘出手術を行うことが多い。

帰りに渡された封筒がずしりと感じ、自転車をこぐ足がスローモーになった。背骨に沿って滴る汗。頭蓋咽頭腫?

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1999年入社。整理部―2004年の秋から野球部。担当歴は横浜(現DeNA)―巨人―楽天―巨人。
遊軍、デスクを経て、現在はデジタル戦略室勤務。
好きな取材対象は投手、職人、年の離れた人生の先輩。好きな題材は野球を通した人間関係、カテゴリーはコラム。
趣味は朝サウナ、子どもと遊ぶこと、PUNPEEを聴くこと。