【死去6年】星野仙一39歳、ドジャース相手に大勝負…進取の精神は大谷翔平に通ず

星野仙一さんが亡くなって6年。年末に記事を読み返していたら、1本のコラムが眠っていました。大谷翔平と山本由伸の入団で焦点が当たるドジャース。日本人にとって何か特別な響きを持つこのチームには、星野さんも深く関わっていました。進取の精神を受け止める伝統球団の理念は、現在に通じています。2024年は星野さんのコンテンツをコツコツ蓄え、まとめページを作成&更新していく予定。オンリーワンの太い轍をお楽しみください。

プロ野球

1988年2月、ベロビーチでの春季キャンプで、ドジャースのラソーダ監督と

1988年2月、ベロビーチでの春季キャンプで、ドジャースのラソーダ監督と

◆星野仙一(ほしの・せんいち)1947年(昭22)1月22日生まれ、岡山県出身。倉敷商から明大を経て、68年ドラフト1位で中日入団。エースとしてチームを支え、優勝した74年には沢村賞を獲得。82年引退。通算500試合、146勝121敗34セーブ、防御率3・60。古巣中日の監督を87~91年、96~01年と2期務め、88、99年と2度優勝。02年阪神監督に転じ、03年には史上初めてセの2球団を優勝へ導き同年勇退。08年北京五輪で日本代表監督を務め4位。11年に楽天監督となって13年に日本一を果たし、14年退任した。17年野球殿堂入り。18年1月4日午前5時25分、膵臓(すいぞう)がんのため70歳で死去した。

ピーター・オマリーとの対峙

星野は恩人との再会を心待ちにしていた。

殿堂パーティーの話が持ち上がった盛夏。「人がたくさんで疲れそうだけど、ピーターが、はるばる来てくれるんだって。だったらやらないとな。これはホント、楽しみ。なかなか会えないからなぁ」と話していた。

79歳になったピーター・オマリーが発起人に名を連ねていた。所用による欠席は心残りだろう。

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1999年入社。整理部―2004年の秋から野球部。担当歴は横浜(現DeNA)―巨人―楽天―巨人。
遊軍、デスクを経て、現在はデジタル戦略室勤務。
好きな取材対象は投手、職人、年の離れた人生の先輩。好きな題材は野球を通した人間関係、カテゴリーはコラム。
趣味は朝サウナ、子どもと遊ぶこと、PUNPEEを聴くこと。