【発掘】ハム山崎福也と母・路子さん13年前の対談 脳腫瘍に立ち向かう/連載〈6〉
今オフに国内FA権を行使し、日本ハム移籍が決まった山崎福也選手。リーグ優勝に日本シリーズでの活躍。今も変わらぬサワヤカな笑顔を見て、ふと13年前に取材した、母・路子さんとの対談を思い出しました。中3で小児脳腫瘍を発症し、生死をさまよったあの日を、母・路子さんとともに赤裸々に振り返ってくれたあの日。あらためて読み返すと、福也君の笑顔が、より深く心に突き刺さります。新天地に踏み出す今、当時を振り返ります――。
プロ野球
◆山崎福也(やまさき・さちや)1992年(平4)9月9日生まれ、埼玉県出身。日大三3年春(10年)のセンバツでは決勝戦で興南・島袋洋奨投手と投げ合い、延長12回の末、敗れて準優勝に。大会通算13安打を放ち、個人最多安打の大会記録に並ぶなど、打者としても活躍した。明大では東京6大学リーグ通算20勝。14年ドラフト1位でオリックス入団。15年6月5日の中日戦で初勝利。今季は11勝5敗、防御率3・25とキャリアハイの成績を残し、オフに国内FA権を行使。日本ハム移籍が決まった。父は元巨人、日本ハム捕手の章弘氏。188センチセンチ、95キロ。左投げ左打ち。
ある日突然襲った病気、「小児脳腫瘍」。余命7、8年と宣告されたあの日。「結果よりも、今生きていること、野球ができていることが何よりの幸せ」と笑顔で話す2人には、強い「親子の絆」がありました。病気、そして高校野球。誰よりも深い3年目を送った2人が、高校3年間と、これまでを振り返ります。
――福也君から見て、どんなお母さんですか?
福也本当に明るい母です!
路子さんそれだけなの!?
――福也君はお母さん似なんでしょうか?
路子さん福也も家に帰ってくると、よくしゃべりますよ。こんなことあった、あんなことがあったって。全部報告してくれます。
福也うーん。父と半分半分ですかね。
路子さんお父さんに似ているとは、よく言われるよね。
――お母さんからみて、どんな息子さんですか?
路子さん優しい子ですね。小さいころは大きな病気もしなかったし、反抗期もなかったんです。逆にそういうものを乗り越えてきた方が、大きな病気にかかることもなかったのかしら、って思うこともあるんですよ。
■お母さんの写真館
◆心の支えになった小倉監督からの手紙福也が小倉監督からいただいた手紙です。今はお守りがわりに私がずっと持ち歩いています。本当、小倉監督と三木コーチには、何て申し上げていいのかわからないほど、お世話になりました、三高のグラウンドに立ちたいという思いだけで、球拾いだけでもいいと思って入院したのに、まさかユニホームを着せていただいてベンチに入れるなんて夢のようでした。福也は、私の息子であると同時に、「三高の子」なんですよね。
◆お守り福也が脳腫瘍になって、病気のことはなかなか人にはお話をできなかったんですが、それでもお知らせをした方々から、手術の前にたくさんのお守りをいただきました。中には監督と三木コーチからのお守りも入っています。これを手に持って、福也は手術室に入っていきました。まだ、検査が何年か残っているのですが、すべて終わったら、納めさせていただこうと思っております。
◆食欲は旺盛入院中も、お母さんが買ってきたステーキを食べたり…。1週間の入院で9キロ太ったとか。
――今まで、お母さんに怒られた思い出はあるんでしょうか?
福也え~と…。
路子さん考えてしまうほどないわよね?
福也うん、ないね。
路子さん逆に長男(福之さん)はすごかったので(笑い)。次男の福也は要領がよかったのかもしれませんね。
福也そうですね(ニコニコ)。
――お母さんにとっては、どんなことが楽しみですか?
路子さん福也はとくに、病気(08年3月に小児脳腫瘍)を経験してからと、病気になる前とでは考え方が全く変わりました。
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秋田県生まれ。
2017年まで、日刊スポーツ出版社刊「プロ野球ai」デスク、「輝け甲子園の星」の記者を務める。〝ヨシネー〟の愛称で連載を担当した。甲子園取材は春夏通算50回超え。
著書に「監督心」、「主将心」(実業之日本社)「東浜巨 野球日誌が語る22年」(小学館)など。