作曲家・浜圭介さん 歌手での挫折がヒットメーカー人生の始まり/インタビュー前編
「雨の慕情」「大阪暮色」「終着駅」などで知られる作曲家浜圭介さん(80)が60周年を迎えている。10月13日には堺正章(80)五木ひろし(78)由紀さおり(77)細川たかし(76)ら18人の歌手が出演するコンサートを東京国際フォーラムで開催する。昭和から平成、令和へと歌い継がれる名曲を生み出したヒットメーカーはどんな人生を歩んできたのか、前後編でひもといていく。
音楽
◆浜圭介(はま・けいすけ)本名金野孝(こんの・たかし)。1946年(昭21)4月8日生まれ、旧満州(現中国東北部)出身。64年に歌手デビューし、その後作曲家に転向。72年に奥村チヨさんの「終着駅」がヒットして頭角を現す。「舟唄」「雨の慕情」(八代亜紀さん)、「そして、神戸」(内山田洋とクール・ファイブ)、「哀しみ本線日本海」(森昌子)、「望郷じょんから」(細川たかし)、「すずめの涙」(桂銀淑)などヒット曲多数。74年に奥村さんと結婚。05年に紫綬褒章。
作品のルーツは壮絶な〝胎内体験〟
浜さんは旧満州(現中国東北部)の捕虜収容所で生まれた。
浜さん1945年(昭20)、終戦になった時におやじとおふくろは満州にいました。そこで事業をやっていた。子どもが4人いて、僕はまだおふくろのおなかの中。日本は負けたのにロシア人が攻めてきた。その時、おやじは仕事で家を離れていました。おふくろは4人の子供の手を引いて逃げた。おじいちゃんは病気で動けなかったので、何日か分の食事を置いてね。しばらくして家に戻ったら殺されていました。その翌年、捕虜収容所で僕が生まれたわけです。
生まれる前だった浜さんは、この時の壮絶な〝胎内体験〟が作品のルーツになっているという。
浜さん僕のヒットした歌を聞くと、ものすごく大陸的。「終着駅」もそうです。何で俺はこんなに大きな歌が作れるのか? 自問自答をすると、それはおなかの中にいた時、おふくろが中国大陸を逃げ回って見たことや感じたことが全部、僕に乗り移ったからなんじゃないかという気がするんです。「望郷じょんから」にしても、何で僕はこんなメロディーを書けるのだろうと。それはあの時のことが僕の感性になっているんじゃないかと思うんです。
翌47年に中国から京都の舞鶴港に引き揚げ、青森県大鰐町に住むことになる。当時1歳だった。
浜さん大鰐には小2までいました。その後、おやじが自分の郷里である北海道の札幌に戻って、私たち家族を呼び寄せました。
札幌の少年時代は孤独なものだった。
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