羽生結弦さんに聞いた 常識を超えていく第2章「僕は僕で、この道を選んだ」〈下〉
フィギュアスケーター羽生結弦さんの単独インタビュー「下」編は、個別取材5分間の続きから最後までお届けします。プロの肩書を背負っていく責任、自身を客観視しながら進む、羽生さんだけが歩む孤高の「道」について聞きました。
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【羽生結弦さんと緊張の対面〈上〉】からつづく
「引退」の2文字を使わない、もう1つの理由とは
プロとしての責任「ああやっぱ羽生結弦うまくなったな、って」
フィギュアスケート男子の14年ソチ、18年平昌オリンピック(五輪)2連覇王者、羽生結弦さん(27)に時間いっぱい尋ねました。
――報道(11日公開の「上」編を参照)には、やはり思うところがあったと…
羽生さん いや、そんなことないですよ(笑い)。でもあの、それはね、やっぱり、あの皆さん、それぞれの伝え方もありますし、何だろう、それは尊重してますし、全然、問題ないんですけど。ただ-。
そう返した上で「プロ」を名乗って生きていくことへの使命に転化しました。
羽生さん これからやっぱり自分は自分の活動で見せ続けなきゃいけないし、それが僕のプロとしての責任だと思います。あと、やっぱり僕は言葉のプロじゃないので、別に何も言えないんですけど、スケートを見てくださった方に「ああやっぱ、羽生結弦うまくなったな」「進化してんな」ってことを、また今日みたいな場所で感じていただければうれしいです、はい。
――以前から報道姿勢が問われていることは我々も自覚していますが、今の時代、報じられる側として思うところはありますか。とても難しい質問で大変申し訳ないのですが
羽生さん ふふふふ。いや、まあ、そうですかね。うーん。まあ僕は正直、何でもいいですし。
本人には、報じる側の都合など関係ありません。自身を、ただ冷静に客観視していました。
長野県飯田市生まれ。早大4年時にアメリカンフットボールの甲子園ボウル出場。
2004年入社。文化社会部から東北総局へ赴任し、花巻東高の大谷翔平投手や甲子園3季連続準優勝の光星学院など取材。整理部をへて13年11月からスポーツ部。
サッカー班で仙台、鹿島、東京、浦和や16年リオデジャネイロ五輪、18年W杯ロシア大会の日本代表を担当。
20年1月から五輪班。夏は東京2020大会組織委員会とフェンシング、冬は羽生結弦選手ら北京五輪のフィギュアスケートを取材。
22年4月から悲願の柔道、アメフト担当も。