【スクール☆ウォーズ伝説:息子編】魂を継ぐ遺伝子 オヤジに見せる桜のジャージー

3年間、試合に出ることはなかった。ただ、諦めようとしたことは1度もない。父の背中を見て育ったから-。4年目の春、初めて出たリーグ戦。かつて伝説のラガーだった父は、息子に悟られぬよう涙を流した。(敬称略)

ラグビー

16年早大戦、パスを出す帝京大SH小畑健太郎

16年早大戦、パスを出す帝京大SH小畑健太郎

伏見工「伝説の主将」を父に持ち

「ああ、小畑です。

どうも、ご無沙汰しています。

しばらく入院していましてね。どうも甲状腺があきまへん。腹水がたまってしもうて、仕事もしたらアカンって、止められているんです。

最近は外に出るのは、買い物の時くらいですわ」

それは、力のない弱々しい声だった。

しばらく近況を聞いた後に、こう続ける。

「セガレから連絡がありましてね。

うれしかったなあ。涙が出るほどうれしくてね。

電話の向こうの本人には分からんようにしましたけど。ポロポロと涙がこぼれてきましたわ。

ここまで来るのに長い時間がかかった。

4年かけて、ようやく第1歩や。これから、これから、ですわ」

1980年代にヒットしたドラマ「スクール☆ウォーズ」のモデルとなった小畑道弘(64)は、一昨年に肝臓と腎臓を患った。

それ以降、闘病生活を送っている。

1度は退院したが、昨年末から再び入院生活を余儀なくされていたという。

京都の桜が散り始めた4月上旬。

ラグビーのコベルコ神戸スティーラーズに所属する長男の健太郎(25)から電話があった。

「長いこと待たせて、ゴメンなあ。やっとメンバーに入ることができたわ」

大学を卒業してから迎えた4度目の春。

初めて公式戦のメンバーに入ったという知らせに、息子に悟られぬよう声を押し殺しながら泣いた。

伏見工元監督の山口良治氏(左)と小畑道弘さん(山口氏提供)

伏見工元監督の山口良治氏(左)と小畑道弘さん(山口氏提供)

帝京大で全国9連覇に貢献

小学2年の時、再放送で流れていたドラマを見たのがラグビーを始めるきっかけとなった。

父と同じ伏見工業から進んだ帝京大では1年時からスクラムハーフ(SH)のレギュラーをつかみ、前人未到の全国大学選手権9連覇に貢献した。

卒業後の2019年にトップリーグの神戸製鋼(当時)入りしたが、ベンチ入りすらできない日々が続いた。

同じポジションには日本代表を経験したベテランの日和佐篤(34)に、NEC(現東葛)で主将を務めた中嶋大希(26)が昨年から加わった。

長らく壁を越えられずにいた。

知人が試合を見に来れば、「健太郎は応援席に座っていたよ」と連絡が入る。

たまに京都の自宅に帰ってくるとケンカになった。

「お前、悔しくないんか! 帝京から鳴り物入りで呼んでもろうて、何をしとるんや。いつまでたっても目の上のたんこぶを抜けないなら、ラグビーなんか辞めてしまえ! あほんだら!」

心配した伏見工の恩師でもある山口良治から移籍を薦められたこともあった。

「違うチームに行かせたらどないや。よそに行けば出番はあるやろう」

ただ、逃げるようなまねは性に合わない。

それはかつて、ライバル校に大敗し「悔しいです!」と叫んだ父と同じ血が流れているからでもあるだろう。

新リーグであるリーグワン開幕を控えた昨年7月のこと。3年間1度もベンチ入りすらしていないのに、健太郎は神戸製鋼の社員選手からプロ選手へ契約を結びなおした。

社員なら選手としての道が絶たれても、社業に就けば生活は保障される。

プロ契約なら活躍しなければ、いつクビを切られて路頭に迷うかも分からない。

覚悟を決めるため、退路を断っていた。

編集委員

益子浩一Koichi Mashiko

Ibaraki

茨城県日立市生まれ。京都産業大から2000年大阪本社に入社。
3年間の整理部(内勤)生活を経て2003年にプロ野球阪神タイガース担当。記者1年目で星野阪神の18年ぶりリーグ制覇の現場に居合わせた。
2004年からサッカーとラグビーを担当。サッカーの日本代表担当として本田圭佑、香川真司、大久保嘉人らを長く追いかけ、W杯は2010年南アフリカ大会、2014年ブラジル大会、ラグビーW杯はカーワンジャパンの2011年ニュージーランド大会を現地で取材。2017年からゴルフ担当で渋野日向子、河本結と力(りき)の姉弟はアマチュアの頃から取材した。2019年末から報道部デスク。
大久保嘉人氏の自伝「情熱を貫く」(朝日新聞出版)を編集協力、著書に「伏見工業伝説」(文芸春秋)がある。