【闘魂の実像】外国人扱いに怒り 猪木は新団体で勝負に出た〈馬場編:6〉

アントニオ猪木さんが2022年10月1日午前7時40分、心不全のため都内の自宅で亡くなった。79歳だった。日刊スポーツでは06年に行った計8時間に及ぶロングインタビューをもとに45回の連載を掲載した。そこで綴られた波瀾万丈の人生を「闘魂の実像」と題して再録する。第1章「ジャイアント馬場編」の第6回。(敬称略)

プロレス

〈第1章・第6回(全45回)〉

1966年(昭41)春、猪木は馬場に、かつてない激しいライバル意識を抱いた。米国遠征から帰国する直前、意外にも日本プロレスから外国人契約を突きつけられた。意図はすぐに理解できた。日本では馬場が団体のエースとして君臨し、力道山の保持していたインターナショナル王座も継承していた。自分を外国側のレスラーとして帰国させて馬場の「引き立て役」にする魂胆だと悟った。

スポーツ

田口潤Jun Taguchi

入社以来、スポーツ部では、五輪競技、相撲、サッカー、プロレス、格闘技、ボクシング、ゴルフを担当。五輪は98年長野、04年アテネ、14年ソチ、16年リオデジャネイロ大会を取材。
プロレス取材は05年で、新日本の暗黒時代だった。