
“最後のサムライ”が語る真相 なぜ日本ラグビーは世界で勝てなかったのか
日本ラグビーが、世界に歯が立たない時代があった。W杯で母国を率いた日本人は5人。わずか1勝である。2003年、最後に大舞台に挑んだ日本人監督が向井昭吾だった。本当に勝てる要素はなかったのか-。20年の時を経て真相を聞いた。(敬称略)
ラグビー
〈W杯に挑んだ者たち:上〉
強豪に肉薄した03年W杯、向井昭吾監督
向井昭吾(むかい・しょうご)
1961年(昭36)10月2日、愛媛県伊予市生まれ。新田高から東海大を経て東芝府中へ。現役時代はフルバック(FB)で日本代表入り。第1回W杯に出場した。キャップ数は13。94年に東芝府中監督に就任。「PからGO」のアタッキングスタイルで98年度に日本選手権3連覇を達成した。00年末に日本代表監督に就任し、03年W杯後に退任。コカ・コーラの監督、GMを経て23年シーズンから花園近鉄ライナーズのヘッドコーチに就任した。
スコットランドにフランスに
「世界の背中は見えていた」-
2003年W杯、日本は4戦全敗。
それでも、向井はこう振り返った。
「勝ちに行ったんです。
途中まではプラン通り。
勝てると思っていた」
2003年10月12日、オーストラリア大陸の東に位置するタウンズビル。
日本はW杯の初戦で、スコットランドと戦った。
後半30分すぎまで11-15。4点差。
終盤の3連続トライで突き放されはしたが、80分間のうち70分までは世界の強豪と互角の展開に持ち込んでいる。
先発で起用した外国出身選手はロックのパーカー(東芝府中)と、センター(CTB)のパーキンソン(サニックス)の2人だけ。
結果だけを見れば全敗だがあと1歩に迫っていた。
20年の時が流れ、大阪の最高気温が36度を超えた日。
花園ラグビー場のバックスタンド下にある応接室で、歩んだ道のりを語ってくれた。
「僕の時は最高の日本人選手がいた。
今のようにW杯に臨むのに十分な練習をさせてもらえていれば、勝てていたかも知れません」
まだ日本が弱小だった時代に、世界にその名をとどろかせようと必死にもがき、勝利を目指した“最後のサムライ”だった。
なぜ勝てなかったのか。
なぜ今、勝てるようになったのか。
そして、再び世界に挑む日本代表へ、伝えたいメッセージがあった。
W杯で日本代表を率いた監督
87年第1回大会 | 宮地克実 | 0勝3敗 |
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91年第2回大会 | 宿沢広朗 | 1勝2敗 |
95年第3回大会 | 小藪修 | 0勝3敗 |
99年第4回大会 | 平尾誠二 | 0勝3敗 |
03年第5回大会 | 向井昭吾 | 0勝4敗 |
07年第6回大会 | ジョン・カーワン | 1分け3敗 |
11年第7回大会 | ジョン・カーワン | 1分け3敗 |
15年第8回大会 | エディー・ジョーンズ | 3勝1敗 |
19年第9回大会 | ジェイミー・ジョセフ | 4勝1敗 |
23年第10回大会 | ジェイミー・ジョセフ | ? |
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茨城県日立市生まれ。京都産業大から2000年大阪本社に入社。
3年間の整理部(内勤)生活を経て2003年にプロ野球阪神タイガース担当。記者1年目で星野阪神の18年ぶりリーグ制覇の現場に居合わせた。
2004年からサッカーとラグビーを担当。サッカーの日本代表担当として本田圭佑、香川真司、大久保嘉人らを長く追いかけ、W杯は2010年南アフリカ大会、2014年ブラジル大会、ラグビーW杯はカーワンジャパンの2011年ニュージーランド大会を現地で取材。2017年からゴルフ担当で渋野日向子、河本結と力(りき)の姉弟はアマチュアの頃から取材した。2019年末から報道部デスク。
大久保嘉人氏の自伝「情熱を貫く」(朝日新聞出版)を編集協力、著書に「伏見工業伝説」(文芸春秋)がある。
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