10・20「ミスターラグビー」平尾誠二さんを偲ぶ~1人の写真家が追い続けた35年
ラグビー元日本代表の平尾誠二さんが53年の短い生涯を終えたのは、2016年10月20日のことだった。あれから8年。先日、平尾さんを追い続けてきた写真家の岡村啓嗣さんが大阪・豊中市のラグビークラブハウス98で講演した。愛する人々の心の中で、今も平尾さんは生きていた。
ラグビー
命日に振り返る
在りし日の勇姿
スクリーンに映し出された1枚の写真がある。
モノクロームの画像の中で、頭を抱える背番号10の姿。
その手前でもう1人の選手はうずくまっていた。
「負けて悔しがる姿というのは、後にも先にもこの1枚しかないです」
物静かな、ゆっくりとした口調。40数年前を思い出すかのように、岡村さんはそう明かした。
その10番とは同志社大(以下、同大)の1年生、平尾誠二であった。
時は1982年1月2日。
東京の国立競技場であった全国大学選手権の準決勝・明大戦。
オールドファンであれば、遠い記憶がよみがえってくるかも知れない。
“誤審”ともいわれた退場劇によって同大の連覇が途切れた、語り継がれる一戦である。
ノーサイドの笛が響いた瞬間の、平尾さんの後ろ姿をとらえた写真。
当時は同大の黄金時代。
2連覇を目指しながら、志半ばで途絶えた道だった。
1年生のSOとして背負った重圧。
国立は超満員だった。
カメラマンは人を映し、物書きもまた人を描く。
長く取材活動をしていると、ごく稀(まれ)にではあるが、その人物に吸い込まれ行くような感覚に陥ることがある。
写真家としての岡村さんにとって、平尾誠二こそがその対象であった。
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茨城県日立市生まれ。京都産業大から2000年大阪本社に入社。
3年間の整理部(内勤)生活を経て2003年にプロ野球阪神タイガース担当。記者1年目で星野阪神の18年ぶりリーグ制覇の現場に居合わせた。
2004年からサッカーとラグビーを担当。サッカーの日本代表担当として本田圭佑、香川真司、大久保嘉人らを長く追いかけ、W杯は2010年南アフリカ大会、2014年ブラジル大会、ラグビーW杯はカーワンジャパンの2011年ニュージーランド大会を現地で取材。2017年からゴルフ担当で渋野日向子、河本結と力(りき)の姉弟はアマチュアの頃から取材した。2019年末から報道部デスク。
大久保嘉人氏の自伝「情熱を貫く」(朝日新聞出版)を編集協力、著書に「伏見工業伝説」(文芸春秋)がある。