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長谷部誠:ボルフスブルク(ブンデスリーガ)
1984年(昭59)1月18日、静岡県藤枝市生まれ。MF。藤枝東高ではトップ下として活躍し、01年高校総体準優勝、01年国体で静岡県選抜として出場し優勝した。02年に浦和入り。
02年5月12日のナビスコ杯名古屋戦で公式戦デビュー、03年3月22日の鹿島戦でリーグ戦デビューを果たした。03年ワールドユース(UAE開催、現U-20W杯)、04年アテネ五輪では候補に名を連ねながら、最終的に代表から漏れた。だが、視野の広さ、優れたパスセンス、鋭いドリブルとゲームメーク能力などが徐々に評価されるようになり、04年にナビスコ杯ニューヒーロー賞、浦和サポーターが選ぶMVP、Jリーグベストイレブンに輝いた。
06年1月、A代表合宿に初招集され、2月10日の米国戦でA代表デビューした。途中出場だったがドリブル突破やスルーパスで存在感を示し、同月22日のアジア杯予選インド戦、同5月9日のキリン杯ブルガリア戦にも出場。だが、W杯ドイツ大会には招集されなかった。オシム体制で再び代表入りし、8月9日の国際親善試合トリニダード・トバゴ戦で先発出場。10月4日の国際親善試合ガーナ戦、同11日のアジア杯予選インド戦で途中出場した。11月15日のアジア杯予選サウジアラビア戦でのベンチ入り後は代表メンバーから外れ、08年12月の岡田ジャパン初合宿で再招集された。
07年シーズンは右ひざ腸脛(ちょうけい)じん帯炎症で出遅れ、序盤は浦和で先発落ちも経験したが8月以降は復調し、アジアCL制覇に貢献した。海外クラブからの注目度も高く、06年3月にはブンデスリーガの名門バイエルン、ボルフスブルク、07年夏にはセリエAシエナから獲得の打診を受けたが「アジア制覇とJ連覇に不可欠な戦力」と浦和側に強く慰留され、残留していた。08年1月にブンデスリーガのボルフスブルクと契約した。
私生活では07年7月にフジテレビの本田朋子アナとの熱愛が報じられた。Jリーグ通算149試合出場12得点。177センチ、65キロ。
長谷部の年度別成績 | ||||
---|---|---|---|---|
リーグ | シーズン | 所属 | 試合 | 得点 |
J1 | 2002 | 浦和 | 0 | 0 |
J1 | 2003 | 浦和 | 28 | 2 |
J1 | 2004 | 浦和 | 27 | 5 |
J1 | 2005 | 浦和 | 31 | 2 |
J1 | 2006 | 浦和 | 32 | 2 |
J1 | 2007 | 浦和 | 31 | 1 |