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稲本潤一:フランクフルト(ブンデスリーガ)
1979年(昭54年)9月18日、大阪府生まれ。MF。
G大阪ジュニアユース、同ユースと進み97年(平成9年)4月に歴代4番目の若さとなる17歳6カ月25日でJリーグデビュー。U―16から各年代で代表入りし、国際経験も豊富。国際Aマッチは2000年2月のメキシコ戦でデビューし、50試合4得点(04年6月現在)。
01年7月に4年契約でアーセナル(イングランド)に移籍。欧州チャンピオンズリーグのシャルケ(ドイツ)戦に後半30分から出場。日本人初出場(チャンピオンズカップ時代を含めると2人目)を果たす。
02年、日韓W杯に出場。ベルギー戦、ロシア戦でゴールを挙げ、W杯日本歴代3人目及び最年少得点者となる。
W杯後、フルハム(イングランド)に移籍。02-03シーズン開幕戦で、日本人初プレミアリーグ出場を果たす。欧州連盟の公式戦(インタートト杯決勝2次ラウンド、ボローニャ戦)で日本人初のハットトリックを決め、フルハム史上初のUEFA杯出場権獲得に貢献。同年9月に初めて先発フル出場し、プレミアリーグでの初ゴール(第5節トットナム戦)を決める。
04年6月の親善試合イングランド戦で左腓骨を骨折、全治3カ月の重傷を負い、合意寸前だったフルハムへの完全移籍交渉が決裂。G大阪へ戻り、8月にはJリーグへの出場登録も済ませていたが、移籍期限ぎりぎりの同月末、ウェストブロミッチから正式オファーが届き、完全移籍に至った。
だが、ケガの影響でリザーブリーグ(2軍戦に相当)にしか出場できず、調整のため12月23日、2部に相当するチャンピオンシップリーグのカーディフに1カ月の期限付きで移籍した。
06-07年はトルコリーグのガラタサライでプレーし、シーズンを通してレギュラー選手として活躍。
07年にブンデスリーガのフランクフルトに移籍し、高原直泰のチームメートとしてプレーすることとなった。
家族は両親と姉。181センチ、75キロ、血液型O。
稲本の年度別成績 | |||||
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リーグ | シーズン | 所属 | 試合 | 得点 | A |
J | 1997 | G大阪 | 27 | 3 | 4 |
J | 1998 | G大阪 | 28 | 6 | 6 |
J1 | 1999 | G大阪 | 22 | 1 | 1 |
J1 | 2000 | G大阪 | 28 | 4 | 4 |
J1 | 2001 | G大阪 | 13 | 2 | 0 |
プレミア | 01-02 | アーセナル | 0 | - | - |
プレミア | 02-03 | フルハム | 19 | 2 | 2 |
プレミア | 03-04 | フルハム | 22 | 2 | 0 |
プレミア | 04-05 | ウェストブロミッチ | 3 | 0 | 0 |
プレミア | 04-05 | ウェストブロミッチ | 3 | 0 | 0 |
2部 | 05-06 | カーディフ | 12 | 0 | 0 |
プレミア | 06-07 | ウェストブロミッチ | 3 | 0 | 0 |
トルコ | 06-07 | ガラタサライ | 25 | 0 | 0 |
※Aはアシスト |
主なタイトル | |||||
---|---|---|---|---|---|
94年 | アジアユース選手権(U-16)優勝 | ||||
96年 | Jユース杯準優勝 | ||||
97年 | なみはや国体、大阪選抜出場3位 | ||||
98年 | アジアユース選手権準優勝 | ||||
99年 | ワールドユース準優勝 | ||||
00年 |
カールスバーグ杯A代表デビュー アジア杯予選フル出場 AFC月間最優秀選手賞受賞 シドニー五輪出場ベスト8 アジア杯優勝 Jリーグベストイレブン |
||||
01年 |
コンフェデレーションズ杯準優勝 キリン杯優勝 |
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02年 |
W杯出場、決勝トーナメント進出 AFC月間最優秀選手賞受賞 |