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ホーム > THE DETERMINATION ~日本を背負い世界と戦う~ > 最終回 内田篤人


nikkansports.com 特別連載

最終回 内田篤人

 2月6日のタイ戦で岡田ジャパンは船出した。その新生チームの最大の特色は右のサイドバックとして先発出場したDF内田篤人(19=鹿島)の出現だった。オシムサッカーを引き継いだ岡田ジャパンの中で、オシム的なものとの決定的な違いの象徴として、気温1度の埼玉スタジアムのピッチに立った。

線が細く、実績もない。しかし…

東アジア選手権 日本対韓国 後半、韓国MF趙源熙(右)の激しいマークを受けつつドリブル突破するDF内田篤人(2008年2月23日)
東アジア選手権 日本対韓国 後半、韓国MF趙源熙(右)の激しいマークを受けつつドリブル突破するDF内田篤人(2008年2月23日)

 可能性が高く、期待が大きかった分だけ、タイ戦で見せた内田のプレーへの評価は辛かった。右サイドで余裕を持ってボールを持ちながら、相手DFと勝負をしない。縦への突破も試みず、安易にクロスを上げてはクリアされた。しかも失速する力ないボールを連発し、スリリングな場面すら演出できなかった。試合後、内田は「思ったようにできなかった。もっともっと自分のプレーを高めたい」と、きわめて冷静に自己採点していた。

 岡田監督は、内田自身が自発的に実力を発揮するのを待っている。右のサイドバックには不動のレギュラー加地がいた。その実力者を外して内田を選んだ。1月24日。チリとの親善試合を間近に控え、代表チームは国立で非公開練習を行った。

 練習後、岡田監督は内田についてはじめて詳しく語った。「まだ線が細い。実績もなく、球際も弱い」。実直な監督らしく、正直にニューフェースの弱さをさらけ出した。そして言葉を続けた。「しかし、最初のタッチでのボールの持ち方がいい。パスの出し方もいい。非凡なものを持った選手だ」。すでにこの時点で、W杯アジア3次予選初戦のタイ戦で先発起用することを決めていたのかもしれない。同26日のチリ戦、同30日ボスニア・ヘルツェゴビナ戦の親善試合2試合で先発起用。そして、2月6日のタイ戦でも先発で送り出した。19歳と316日でのW杯予選出場は、80年W杯スペイン大会予選の風間八宏、都並敏史、戸塚哲也に次ぐ年少記録となった。

気持ちの揺れを表に出さない“アッカム”

W杯アジア3次予選2組第1戦 日本対タイ 前半、右サイドを突破するDF内田篤人(2008年2月6日)
W杯アジア3次予選2組第1戦 日本対タイ 前半、右サイドを突破するDF内田篤人(2008年2月6日)

 ひょうひょうとした口調で、気持ちの揺れを表に出さない。「代表に残れて、試合に出られなくても、練習できるだけで勉強になりますから」。内田は優等生発言を繰り返し、周囲の過熱ぶりから一線を引いていた。ただ、サッカーの話題を離れれば、開けっぴろげに自分のことをさらけだす。「W杯の思い出と言われても特にないです。僕はベッカムがかっこいいな、っていう思い出くらいかな。中学2年でしたね。すぐにベッカムヘアにしてもらいました。モヒカンです。学校ではみんなに『かっこいい』って言ってもらって。だから、あだ名はアッカムでした」。

岡田ジャパンの大きな「武器」に

 岡田ジャパンのアッカムはチャレンジをはじめたばかりだ。東アジア選手権(中国・重慶)でも右サイドバックを任されたが、大会直前の練習では右だけでなく、左でも実戦練習に加わっている。「左でやると景色が違っておもしろいです」と笑った。アウエーでの大会だけに日本チームが激しいブーイングを浴びる場面もあったが、「いいですねえ」と緊迫したムードを自分の力に変えるほどたくましさも身につけてきた。そんな姿に岡田監督も「よくやってるよ」と成長を認めている。アッカムがサイドアタッカーとして得点に絡むようになれば、新生岡田ジャパンは大きな「武器」をつかんだことになる。

THE DETERMINATION アーカイブ

  1. 第1回 中村俊輔
  2. 第2回 今野泰幸
  3. 第3回 平山相太
  4. 第4回 内田篤人



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