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2007 世界陸上大阪 チケット販売開始2007世界陸上大阪 チケット販売開始

男子マラソン 尾方が銅、6年ぶりメダル獲得

 05年8月14日付 日刊スポーツ

 【ヘルシンキ13日=首藤正徳】
 男子マラソンで尾方剛(32=中国電力)が銅メダルを獲得した。一時は8番まで順位を下げたが、粘り強い走りで後方から追い上げて2時間11分16秒で3位でゴールした。99年セビリア大会で3位に入った佐藤信之(旭化成)以来のメダルを日本にもたらした。ジャウアド・ガリブ(モロッコ)が2時間10分10秒で2連覇、日本記録保持者の高岡寿成(34=カネボウ)は2時間11分53秒で4位に入賞した。

世界陸上ヘルシンキ大会8日目男子マラソン 銅メダルを手にする尾方剛(05年8月13日)
世界陸上ヘルシンキ大会8日目男子マラソン 銅メダルを手にする尾方剛(05年8月13日)

 尾方は追いかけなかった。その一瞬の判断が明暗を分けた。29キロすぎ、集団が動いた。前回覇者ガリブがスパート。アテネ五輪優勝のバルディーニ、高岡が続いた。尾方はグッと我慢した。「後半足にくる。1~2キロかけて追い上げればいい」。8番まで順位を下げた。

 30キロをすぎて先頭集団が崩れ始めた。尾方は後方から1人ずつ抜いていった。31キロ付近で高岡もかわした。39キロすぎに単独3位に躍り出ると、そのままゴールまで駆け抜けた。「金メダルまでは追い上げられませんでした」。少し残念、でもうれしかった。

 失敗を生かした。ガリブのスパートまで集団の最後尾を走った。「前はペースの上下動が激しいから」。03年の福岡。先頭集団のペースに過剰に反応して消耗して6位に沈んだ。アテネ五輪代表を逃した。苦い経験を大舞台で生かした。「彼は失敗も成功も無駄にしない。全部成長の糧にできる」と坂口監督は話した。

 傷だらけの人生だった。山梨学院大2年で箱根駅伝優勝。アンカーの尾方はヒーローになった。その直後から走れなくなった。周囲の過度の注目からストレスを起こし、全身脱毛症を患った。中国電力入社後も五輪選考レースに2度敗北。「あの苦労があるから我慢ができた」と言った。

 99年、芳子夫人との結婚が転機になった。生活環境が変わったことで記録が伸び始めた。昨年11月には長男杏丞(きょうすけ)くんも誕生。責任感が加わった。直後の福岡でマラソン9戦目にして初優勝。「帰国したら息子にメダルをかけてやりたい」と笑った。

 挫折を乗り越えてのメダル獲得。しかし、満足はしていない。「銅メダルは最低限。僕はもっと上を目指していますから」。07年世界選手権大阪大会で再びメダルを獲得して、08年北京五輪へ挑む。尾方の成功物語はまだ完結していない。

 現地で応援した尾方の祖父利登(としと)さん(90)と母美知子さん(56)は感涙にむせんだ。昨年11月に生まれた長男杏丞くんがまだ幼いため、留守番となった芳子夫人に代わって懸命に応援。沿道3カ所を周り、最後はスタンドでゴールの瞬間を目撃した。利登さんは「感激しました。ようやった」と健闘をたたえた。

 美知子さんは引退を勧めたことがあった。故障が重なり、ストレスから全身脱毛症を患って走れなかった時「やめてもいいよ」と言った。だが、本人から「やめないよ」と強く言われたという。「昔から集中力があったし、我慢強い子だった」と当時を振り返った。

 利登さんは太平洋戦争で満州に行って以来の海外だった。本当は昨年のアテネ五輪に連れて行くと言われていた。願いはかなわなかったが、世界選手権でメダルを見ることができた。「アテネにはよう行けんかったが、北京(五輪)には行きたいね」と笑った。




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