2度目の大舞台で一気に飛躍を遂げる決意だ。女子マラソン代表の原裕美子は「日本人トップでメダルを取って北京五輪代表を決めたい」と柔らかな口調に意欲をにじませた。
2005年ヘルシンキ大会は右足首の故障で十分な準備ができなかった。レース1カ月前には辞退も考えたほどだったが、優勝したポーラ・ラドクリフ(英国)に中盤まで食らい付き、日本人最高の6位になった。「入賞できてびっくり。ちゃんと練習できていたら、もっと上へいけたかと思うと悔しい思いが残った」と達成感は少なかった。
その後もたびたび故障に苦しんだが、2007年1月の大阪国際で優勝。春先まで右ひざに痛みが出たが5月の大型連休のころからは順調に走り込んできた。「けがをしやすい場所が分かってきたので体の手入れを入念にするようになった」。京セラの大森国男監督も「ここまでは痛いところもなく練習できているのはいい」と手応えを感じている。
どんなに苦しくなっても粘れるのが持ち味。暑さにも自信がある。マラソンは過去3戦2勝。日本人にはまだ負けはない。「運がいいだけ。野口(みずき=シスメックス)さんと走ったら勝てない。でもいずれ勝てるようになりたい」。今は控えめな発展途上の25歳は、大阪で力を示し、次代のエースに名乗りを上げるつもりだ。
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原裕美子(はら・ゆみこ)。
1982年(昭和57年)1月9日、栃木県足利市生まれ。山辺中3年で東日本女子駅伝に出場し3区区間賞。宇都宮文星女子高卒業後、京セラ入り。初マラソンの2005年名古屋で優勝。同年の世界選手権は6位入賞。163センチ、45キロ。高地でも脈拍数34と心肺能力は抜群。高橋尚子らトップ選手でも40前後。胃も強く、大森監督は「普通の女性選手の2倍は食べる」。マラソン直後にステーキを平らげた逸話も。
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- 2時間23分48秒(2007年1月28日・大阪国際=初マラソン日本歴代4位)
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- 2005年 名古屋国際女子マラソン優勝
- 2007年 大阪国際女子マラソン優勝