<プロボクシング:IBF世界スーパーバンタム級タイトルマッチ12回戦>◇23日◇大阪城ホール

 元世界2階級王者の長谷川穂積(33=真正)が、壮絶に散った。王者キコ・マルティネス(28=スペイン)に7回1分20秒、TKO負け。3年ぶりの世界戦は7回に2度のダウンを喫して、レフェリーが試合を止めた。試合後に右眼窩(がんか)底と鼻骨の骨折が判明して入院。WBC世界バンタム級で日本歴代2位の10連続防衛を果たした名王者は、亀田興毅以来2人目の3階級制覇はならなかったが、完全燃焼して現役を引退することが濃厚になった。長谷川の戦績は38戦33勝(15KO)5敗。

 場内の悲鳴とともに、かつて絶対王者と言われた男は崩れ落ちた。7回。長谷川が、マルティネスの連打に倒れた。2回に続くダウン。1度は立ち上がるが、左フックをまともに食らう。左まぶたや鼻からは鮮血があふれた。最後まで踏ん張ろうとしたが、もうだめだった。よろめき、レフェリーに止められると同時に、セコンドからタオルが投げ込まれた。

 「集大成にする」と話していた通り、すべてを拳に込めた。それでも、05年にWBCバンタム級王者へと上り詰めたころのように、足を使って動けない。距離を詰めてきた相手を突き放せない。足が止まり、ロープを背負ったところで何十発も食らった。抜群の防御とスピードで、打たせずに打って勝ってきた全盛期の姿はなかった。

 試合後、リング上で笑顔を見せた長谷川は、会見をキャンセルした。帰路では、弟分のようにかわいがる元2階級王者の粟生に泣いて抱きつかれ「また、電話して。メシ行こう」とつぶやいた。長女穂乃ちゃん(8)を連れて歩き「ありがとうございました。あらためて会見させていただきます」と話し、会場を去った。死闘を示すように、向かった大阪市内の病院で右眼窩底と鼻骨の骨折が判明。治療のため地元神戸の病院に入院した。死力を尽くした、完全燃焼のリングだった。

 山下会長は目を潤ませ「2回のダウンがすべてだった」と言った。今後については「本人の意思を尊重する」と話し「試合でも練習でも完全燃焼はした。これだけボクシング界に貢献した人間ですので、何らかの場を設けさせてもらうと思う」と、時期を見ての“引退会見”を示唆した。

 4年前に亡くなった最愛の母裕美子さんは、最後の手紙で「本物のボクシングを。たくさんの人を感動させてほしい」と記した。壮絶な打ち合いにも、決して逃げなかった。真正面から砕け散った33歳の勇気は観客の感動を生んだ。

 この日のメーンで6度目の防衛を果たした山中が、現在のバンタム最強王者であることは揺るがない。だが9年前から同じベルトを10度守った長谷川も、また歴史に残る最強の王者だった。このまま引退が濃厚だが、日本のボクシング界で一時代を築いた男の栄光は、永遠にさびれない。【木村有三】

 <長谷川穂積(はせがわ・ほづみ)アラカルト>

 ◆誕生

 1980年(昭55)12月16日、兵庫・西脇市生まれ。

 ◆きっかけ

 元プロボクサーの父大二郎氏の影響で、小2からボクシング。

 ◆プロデビュー

 99年11月、4回判定勝ち。03年5月には14戦目で東洋太平洋バンタム級王座獲得。

 ◆世界王者

 05年4月に世界初挑戦でウィラポンを破ってWBC世界バンタム級王者となり10度防衛。

 ◆“絶対王者”崩壊

 10年4月、11度目の防衛戦に敗れる。WBO(当時日本未公認)世界同級王者モンティエルに、4回終了間際に強烈な左フックから連打を浴びTKO負け。悔し涙を流した。

 ◆最愛の母の死

 10年10月24日に母裕美子さん(享年55)が、約4年間の闘病生活の末に死去。悲しみに暮れながらも、同年11月WBC世界フェザー級王座を獲得し2階級制覇達成。

 ◆2度目の世界陥落

 11年4月、WBC世界フェザー級王座初防衛戦で敗退。4回に相手のゴンサレスの右ロングフックを浴びてTKO負け。進退について「簡単に“やる”とは言えない」と発言。だが、同年8月に現役続行を宣言。

 ◆骨折

 11年12月5日のスパーリング中に右肋骨を骨折。全治1カ月と診断され、同17日に予定していた再起戦が中止となる。

 ◆ノンタイトル4連勝

 12年4月、延期された再起戦を7回TKO勝利で飾る。世界戦の機会は訪れなかったが、13年8月まで格下相手に4連勝する。