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大会略史

81年トヨタ杯初開催
81年トヨタ杯初開催。ナシオナルが1-0でノッティンガムFを下し、クラブ世界一に

 サッカーの国別世界一決定戦は第2次大戦前に始まったW杯があるが、クラブの世界一を決めようという考えは1950年代にサッカー関係者の間で広まっていった。この壮大な考えは、世界のサッカーをリードする欧州と南米の覇者を対戦させ事実上の世界の頂点を決めるスタイルで、インターコンチネンタル杯として1960年に実現した。

 記念すべき第1回はRマドリード(スペイン)が優勝。第2回はペニャロール(ウルグアイ)が制して、カップを南米に持ち帰った。大会は世界中の注目を集めて興行的には大成功するが、ピッチ内外での興奮が強くなりすぎたために運営が困難に陥った。そのためホーム&アウエーで行なわれていた形式を1980年に中立地の日本での一発勝負とし、トヨタ杯として引き継がれることになった。トヨタ杯の第1回はナシオナル(ウルグアイ)が優勝。その後、欧州と南米のチャンピオンクラブが毎年来日し、その戦いは世界の注目を集めることになった。

日本サッカー協会会見
日本サッカー協会会見「TOYOTAプレゼンツ FIFAクラブW杯ジャパン2006」のエンブレムをお披露目する日本サッカー協会川淵三郎キャプテン(左)日本テレビ放送網久保伸太郎社長(中央)同協会小倉純二副会長

 2000年には世界の大陸を代表する8つのクラブによる第1回FIFAクラブ世界選手権が開催された。これは欧州と南米以外のクラブにも世界一のチャンスを与えようというごく自然な流れによるものだった。過密スケジュールなどから、第2回は行なわれなかったが、2005年にはトヨタ杯がそれを受け継ぐ形になり「FIFAクラブワールドチャンピオンシップ トヨタ杯 ジャパン」となり、世界各地域の6つのクラブが出場、欧州と南米のチャンピオンはシードされ、4大陸の王者が準決勝進出をかけてプレーオフを行なう形で開催された。さらに2006年には「FIFA クラブワールドカップ ジャパン」と大会名を変えて、引き続き日本で行なわれることになった。



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