メダルを狙う為末の前に立ちはだかる。2007年6月の全米選手権で3連覇を狙ったクレメンテと競り合い、同季世界ランク1位の47秒72で優勝した。186センチ、77キロの体力を生かした力強いハードリングが持ち味で、2005年世界選手権ヘルシンキ大会2位。五輪、世界選手権を通じて初のメダルを獲得した。しかし、心の中にはいまだに屈辱がくすぶっている。
2004年アテネ五輪。米国はこの種目で五輪5連覇中だったが、決勝レースに臨んだカーターは終盤に失速して4位にとどまり、メダルにも手が届かなかった。帰国後は批判の矢面に立たされた。あの時の悔しさは世界の頂点に立ってこそ晴らすことができる。少年時代に重症筋無力症を患い、全身の筋肉に力が入らず1人で食事もできなかったという。カーターの走りは同じ病に苦しむ人たちの希望でもある。「大阪のトラックはスピードが出る。楽しみだ」。絶好調で大阪に乗り込んでくる。
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ジェームズ・カーター。
1978年5月7日、米国生まれ。シドニー五輪代表決定後、肩にド派手な五輪のタトゥーを入れて注目された。同五輪、アテネ五輪とも4位でメダルに手が届かず。2005年世界陸上ヘルシンキ大会で2位。2006年6月の大阪GPでは47秒台を出した成迫にも後れを取り4位。
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- 47秒43(2005年世界陸上ヘルシンキ大会)
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- 2000年 シドニー五輪4位(48秒04)
- 2001年 世界陸上エドモントン大会準決勝敗退(49秒38)
- 2004年 アテネ五輪4位(48秒58)
- 2005年 世界陸上ヘルシンキ大会2位(47秒43)