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新弥のDAYS'

2006年7月12日更新

ジダン事件の奥に

<人種差別との戦いが大会のテーマだった>

 一部で、イタリアのマテラッツィの挑発発言の中に人種差別的な部分が混じっていたのではないかとの憶測が飛んでいる。

 この場合FIFAは窮地に追い込まれるかもしれない。

 日本ではほとんど報じられていないが、この大会の1つのテーマは人種差別への戦いであり、このスローガンはFIFAのマークの円い縁取りにも記されていた。閉会式の中継でも映し出されていた。

 人種差別。

 少し唐突な感じがするかもしれないが、世界標準、特に欧州標準では、今大会は70年前のベルリン五輪から「いかにドイツが変化し、進化し、ヒトラーの影が消え去ったか」という、歴史の中での重要な位置を占める大会だった。

 1936年のベルリン五輪はヒトラーの大会であり、ヒトラーがオーエンス(黒人の陸上4冠王)と握手をしなかったことをはじめ、これに続くホロコーストを初めとする人種差別の象徴的な大会でもあった。

 ベルリンのスタジアムは改装されたが、主要部は1936年の建造部分をそのまま使った居る。果たしてヒトラーの影をドイツは追い出したのか。欧州では、本当の意味での新しいドイツ<<実際の再建(東西統一)は90年代に入ってからだ>>の確立を確認する、記念すべき国際イベントとも見られていた。

 同時に、近年の欧州では(アフリカ・アジア人への)人種差別的な野次や不的確な行為が多発し、一方フランス政府などは増加する移民への対策にも苦慮している。欧州では「人種差別的な野次をチームのサポーターが発した場合は、そのチームの負けとする」という案が3月に生まれたほどだ。

 そうした背景の中で、FIFAは人種差別との戦いを今大会のスローガンの1つに掲げた。

 ジダンの「行為」は、残念というより腹立たしい。あの瞬間、「こんなものを見せられるために、時間をやりくりしてテレビにかじりついていたのか」と思うと、自分に腹が立ったほどだ。もうPKを見る気はしなかった。1つの行為に、その人が偉いから許す、ただの選手だから許さない、などという論法があるだろうか。スポーツのフェアプレーとは、そういう価値判断と対極にあるものだということを、忘れてはならない。

 事情?

 誰だって事情がある。

 もしあれと同じ頭突きを銀座でやれば、巡査が飛んでくる。なぜサッカー場だと、有名人だと許されるのか。

 ジダンは厳しく罰せられるべきで(罰せられた)、「当然、MVPは返上すべきだし、FIFAは返上させるべきだろう」との意見も正論だろう。現実には試合同様、すでに終わったことなので、MVPの選考のタイミングなどを次に生かすしかないかもしれないと、個人的には思ったりするのだが。ふさわしくないことは間違いない。

 「子どもたちの夢を砕くから、ジダンをそっとしてあげて」などと言う人もいるが、サッカー選手の「現実」がこれであり、世界が見ている真ん前でこのようなことを「かっとなって」やってしまうのが、今のサッカーなのだ。ジダンが、と問題をすり替えているが、実は「ジダンも」なのであり、これはサッカーの問題でもあるのだ。この現実をこそ、サッカー自身がもっと重く受けとめるべきで、たやすく問題をすり替えてはならない。子ども達にも真実を見せ、教え、認識させるべきだろう。子ども自身も考えるべき事だ。

 選手のイメージと実際の人間性は別であることも、だ。

 現代サッカーの虚像の部分が破壊されたことは、ある意味でかえっていいかもしれない。

 挑発された、と報じられている。ではその前にジダンは何もせず、言わなかったのか。何かあったから、相手がやり返し、そしてジダンはやり返したのではないか、あるいはもっと遡れば--。真相は不明だ。

 家族の(ありもしない?)悪口を言われたから、というのがジダンの怒りの原因とする見方が強い。

 しかしもし「人種差別」的な発言が本当にあったとしたら、イタリアの優勝は消されるに値する。そういう発言があったとしたら、1936年から、何も変わっていないことになりかねない。頭突きとは比較にならない根源的な「暴力」だ。ヒトラーの影が、亡霊が生きていることになる。それが何らかの形で明らかになると、FIFAは窮地に立つ。ましてや「イタリア対フランス」だ。欧州の奥深い部分が今心配しているのは、そういう部分なのだ。

 <テロリストと言った、とも言われている。これは欧州基準ではアジア・アフリカ人への人種差別発言である>

 「人種差別的発言があった」という噂が、その奥深い部分に「つけ込んだ」事実ではない憶測や意図的なつくり話にすぎないことを、心から祈る。人種差別が地球上から消える日が来ることも心から祈る。

 相手も処罰されるかもしれない。FIFAが聴聞会でも開いて両者を呼んで真相を究明するかもしれない。けれどサッカーは(スポーツは)原則的には終わったら終わりだ。

 ちなみにサッカーでも何でも、相手の「家族」を汚くけなすのが「挑発」の基本であり、テニスでも「お前の妹をやっちゃうぞ」ぐらいのことは言い合っている。日本では見掛けないが、海外ではある意味では当たり前のことだ。ではなぜジダンがあのようにいきり立ったのか。だから「家族を売春婦と呼ばれただけではないはずだ」などの、いろいろな憶測が飛ぶのだろう。

 ではジダンは悪者なのか。

 ジダンではなく、この場合はかっとしてやてしまった、あの反則を憎みたい。ジダンについては98年大会のコラムでもすでに書いたように、男として魅力あふれる存在だ。ジダン個人が深く反省していることだ。そういう男のはずだ。ジダン個人を非難・批判することは(レッドカードをすでに受けた以上)これ以上は控えたい。選手としてはベテランでも、人間としてはまだまだ若い。人生はこれからだ。

 ただし、繰り返すが反則行為自体は別だ。忘れることは許されない。絶対に許すことの出来ない、サッカーとスポーツのために。時間によって風化させてはならない反則だ。

 ジダンは国際調停裁判所に訴え、相手の処罰となにがしかの自分の名誉の回復を求めることはできる。

 ジダンはむろんそうはしないだろう。

 勝ったときも、無口な男だ。

 負けたときも、無口な男だ。

 こういうときも、無口を通すだろう。

 周囲が騒げば騒ぐほど、口を閉ざす。

 そういう男だ。

 けれどいつか、彼自身が語ることだろう。あるいは彼の人生が真実を語るだろう。

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プロフィル
後藤新弥(ごとう・しんや) 日刊スポーツ編集委員、60歳。ICU卒。記者時代は海外スポーツなどを担当。CS放送・朝日ニュースターでは「日刊ワイド・後藤新弥のスポーツ・online」(土曜深夜1時5分から1時間。日曜日の朝7時5分から再放送)なども。
 本紙連載コラム「DAYS’」でミズノ・スポーツライター賞受賞。趣味はシー・カヤック、100メートル走など。なお、次ページにプロフィル詳細を掲載しました。
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