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新弥のDAYS'

2007年03月13日更新

峠の灯が消える?!

 <新大久保のICI石井スポーツが移転>

 山手線の新大久保から歩いて3分。登山用品の店として親しまれてきたICI石井スポーツ(登山本店)が、今月25日でなくなる。

 峠の灯が消えるようだと、閉店セールの店で、誰か言った。

 悲しむことはない。

 4月からは原宿に若者向きの店舗がオープンするし、目下改装中の神田登山店がリニューアルでオープンする。スタッフもそこに移る。

 「それはそうだけど、何十年もここへ通ってきたからなあ」と、移転を知って、涙を流しそうになるお客もいた。

 山やスキーの愛好家にとっては、新大久保の店はまさに峠の山小屋であり、いつも希望や元気を与えてくれる灯だった。

 店が移るだけで涙を流すような純情男は多くはないが、この店を愛し、買う金がなくても、山へ行く暇がなくても店をのぞいては友に会い、慰めとしてきた年配者が少なくない。みな、昔は純情だった。山は、そういう人々に愛されてきた。この店は、そんな人々の心の山小屋だった。

新大久保のICI石井スポーツ登山本店3Fで

 戦後、登山ブームが起きるころに、石井スポーツが創業した。今の登山本店の店長を務めてきた越谷英雄さん(59)によると戦後の1952年、新大久保に店が出来た。スキーと登山道具の専門店で、岩用のクレッターシューズが人気だった。

 当時はまだ海外でも登山用具も開発途上だった。ICI石井スポーツはそれらの先鋭的な、時代を先取りする道具を積極的に仕入れ、じきに自らも開発し、売った。その努力が日本の登山史や探険の歴史にどれだけ貢献したか、計り知れないものがある。

 現在朝日新聞にもコラムを連載中、アウトドアに関する最もも豊富な経験と知識を持ち合わせた「案内人」としても高名な越谷さんは、1947年1月13日、群馬県に生まれた。少年時代から山に入り、難しい崖を上るのが好きだった。40年前、入社した。「当時は初任給が1万5000円。でも舶来のシャルレのアイゼンが欲しくて、店で1万3000円で買った。今考えると、いったいどうやって食べてきたのか、不思議なくらいだった」と苦笑する。

 名品だから欲しい、というのではなかった。「難しい山に行く。岩に上る。困難な状況を身体で体験すればするほど、ああ、ここでこんな道具があればもっと行けるのに、と思う。そこに登山用具開発の根本的な動機があった。自分だけでなく、道具がもっと進化すれば、もっと多くの人がより安全に、より困難に向かっていって、自然を楽しめる。この店に勤めたのも、そういう姿勢で道具と向き合い、道具を作って売っていたからです」。

越谷英雄さん

 専門的な領域だけではない。今では当たり前のように初心者にも使われているロングスパッツや前開きのアノラック(当時は被る物だけだった)も、ここの開発商品だ。

 戦後の登山ブームの真っただ中を、店は生きてきた。新宿駅にも上野駅にも、休日前は夜行の普通列車を待つ長い列が出来た。

 「大した道具もなく、金もなく、でもみな元気に山を楽しんでいた。道具には頼らない、頼れない時代だったからこそ、自分で工夫する能力を自分で引き出さざるを得ない時代だった。そこに、本質的なアウトドアの歓びも充満していた」。

 越谷さんに著書は多いが、15年ほど前に「道具を買い込むな」という主旨の本を書いている。道具を売る店の人が、余計に買い込むな、少なければ少ないほど山を楽しめると主張するのだから、反響は大きかった。

 「売る側だからこそ、道具に振り回されて欲しくないんです」。

 筆者も客として、そういうスタンスを教え込まれた1人ではある。

 客を分け隔てたり、なじみ客を優先することのない店でもあった。だれでも、聞けば懇切丁寧に必要な知識を与えてくれた。テレビ局の極地取材班のほとんども、ここで資材を調達してきた。

 店の帰りに、山手線の反対側の小さな神社に無事帰還を祈るのも、古くからの一部の客の慣わしだった。

 その店が消える。

 新大久保の、峠の灯が消える。

 そうか、お別れかと、店の昔、自分の昔を懐かしみながら、何気なく、静かに店を訪れる人が後を絶たない。

   名物スタッフとして、良きアドバイザーとして越谷氏とともに働いてきた中沢正男さん(57)も、越谷さんとともに神田店へ移るそうだ。  新たな歴史はそこで始まる。

中澤さんは今も足踏みミシンで用具の修理や調整をしてくれる


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プロフィル
後藤新弥(ごとう・しんや) 日刊スポーツ編集委員、60歳。ICU卒。記者時代は海外スポーツなどを担当。CS放送・朝日ニュースターでは「日刊ワイド・後藤新弥のスポーツ・online」(土曜深夜1時5分から1時間。日曜日の朝7時5分から再放送)なども。
 本紙連載コラム「DAYS’」でミズノ・スポーツライター賞受賞。趣味はシー・カヤック、100メートル走など。なお、次ページにプロフィル詳細を掲載しました。
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