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新弥のDAYS'

2007年09月22日更新

100キロ女王の秘密

<ボトルを捨てなかった櫻井教美さん>

三国志の中に、曹操の面白いエピソードがある。

魏の曹操はともすれば悪役、敵役に仕立てられ、「周囲をよく見て、流れの中を巧みに泳ぐ」劉備玄徳タイプが日本ではもてはやされることが多い。特に「自分は中間管理職であり、これから出生するためには帝王学を学ばねばならない」などと考える、実際には出世しない中年のサラリーマンなどには、実力主義の曹操はあまりウケがよくないらしい。

けれど、詩人でもある曹操には人生の機微を理解し、なによりも「潔さ」を重んじる、ある種の「競技者精神」がふんだんに備わっている。

ただ勝てばいいのではない。

自分流で勝たなければならない。道を踏み外すような卑劣なことはしたくない。

曹操には、中国で最も高い名誉である「雄」という肩書きがつけられている。その曹 操が、行軍の途中で「農民に迷惑を掛けるべからず。畑を踏んではならない」ときつい達しを出したことがある。ところが自分の馬が物に驚いて暴れ、苗を踏んでしまった。曹操は自らの髪を切り落として詫び、全軍への規範ともした。

潔さ。

運のいい時もあれば、悪い時もある。

周囲の動きの中で、同じことをしても褒め称えられることもあれば、軽薄な輩に屈辱的な噂を立てられることもある。けれど、曹操は「そんなことに驚いてどうする」と、取り合わない。

向かい風ならタイムが悪い。追い風ならタイムはいい。しかし強すぎれば公認されないこともある。風次第でタイムなど幾(いく)らでも変わる。そんなことにいちいちうぬぼれたり、しょげたりしてどうするか。競技者なら自分の実力は、タイムが出る前に分かっているはずだ。

そういう考え方を、最近の指導者や選手ができなくなっている。

恥ずべき事だ。

けれど、そうではない人たちもいる。

先に、9月8日にオランダで行われたIAU(国際ウルトラマラソン協会主催)、国際陸上競技連盟後援の「100キロワールドカップ」大会で、日本の男女が個人、団体とも金メダルを獲得した快挙をお伝えした。

その女子金メダリストの櫻井教美(のりみ)さん(35)のエピソードを後で聞いた。

櫻井さんは24時間走でも非公認アジアロード記録241・596キロをマークしており、日本山岳耐久レースでは昨年2年連続4度目の優勝を果たしている、この領域での最強ランナーだ。

今回は結果的に3位に入った翔さんが序盤飛ばし、これについていったことなどの好要素が重なって、世界歴代2位(年代別では世界新記録)の好記録7時間0分27秒で初優勝を遂げた。

そのレース中のことだ。

支援コーチ、井上明宏さんから聞いた話である。

「櫻井さんは、ご存知の通り、朴訥(ぼくとつ)で何を考えているかよくわからない“のれんに腕押し”的な応対をして周囲を困惑させることがあるが、決して大声で風呂敷を広げるような人でないことはご理解いただいていると思います。

今回、10キロの周回コースに2箇所スペシャルドリンクが置ける各国のチームエイドゾーンがあったのですが、そこに一応、彼女は500ミリのペットボトルに自分なりの糖分補給用のドリンク入れて、数本ずつ置いていました。

通常は、走行中取って飲んだら、捨ててしまって良いものですし、他選手は基本的にそうしていたはずです。しかし、彼女はレース前から「コース沿いにどこでも捨ててしまって良いものなのか?」と、ずいぶんそのことを心配していました。民家が並んでいるが毎年ここでレースが開催され、町の人はわかっているから、大丈夫だ」と答えていましたが、結局、彼女は、レース中、飲み終わった空のペットボトルを約半周ずつ持って走り、次のチームエイドに置いていきました。

確かに、日常の生活ではゴミを人様の家の前にちらかして平気でいられるのはおかしい(タバコのポイ捨てなどありますが)ですが、実際には市民マラソンでは、ただ楽しく走っている人でも偉そうにコース上のどこにでもゴミを散らかしていきます。「レースだから特別だ」と思うわけです。しかし櫻井さんは、選手権のレース中でもそんなことを気にする、ある意味で普通の常識人なのです。

ぎりぎりのところで走っていて、100キロ走って1キロで5秒の違い(500秒=約8分)が大きく感じられるような研ぎ澄まされた状態になっているのに、手に500ミリのペットボトルを持ったまま走り続けることは、どう考えても明らかなデメリットです。それでも彼女は、常識を保ち、常識の枠内で走りきり、記録を残しました。言葉もありません」。

スポーツの根源は「それでも、やる」という潔い精神だ。

けがもあれば長い故障もある。仕事や家庭の、個人的な事情もある。競技に専念できないことが、人生には山のようにある。不利も不運もあれば、ついうぬぼれてしまうような「幸運の服を着た不運」もある。

それでも、皆一緒にスタートラインに立って、ありとあらゆる言い訳やドラマをかなぐり捨てて、身1つでレースをするのだ。

レース中もいろいろある。ずるを使用と思えば幾らでもできる、またしたくなる。

それでも、正義のままに選手は競技を続けるのだ。

そういう潔さが、櫻井さんにはある。生きている。

櫻井さんだけでなく、井上さんに聞くと特に人間の本当の限界に挑んでいるウルトラマラソンの世界には、同じ精神を持ち合わせた人たちがたくさんいるそうだ。

日本の競技者精神は、見えないところで、脈々と生きている。

むろん、人前でひけらかすものではない。だから心ある競技者の心は、なかなか社会からは見えにくい。

見えないところに、真の美しさが存在するのだ。

三国志の中に、曹操の面白いエピソードがある。

魏の曹操はともすれば悪役、敵役に仕立てられ、「周囲をよく見て、流れの中を巧みに泳ぐ」劉備玄徳タイプが日本ではもてはやされることが多い。特に「自分は中間管理職であり、これから出生するためには帝王学を学ばねばならない」などと考える、実際には出世しない中年のサラリーマンなどには、実力主義の曹操はあまりウケがよくないらしい。

けれど、詩人でもある曹操には人生の機微を理解し、なによりも「潔さ」を重んじる、ある種の「競技者精神」がふんだんに備わっている。

ただ勝てばいいのではない。

自分流で勝たなければならない。道を踏み外すような卑劣なことはしたくない。

曹操には、中国で最も高い名誉である「雄」という肩書きがつけられている。その曹 操が、行軍の途中で「農民に迷惑を掛けるべからず。畑を踏んではならない」ときつい達しを出したことがある。ところが自分の馬が物に驚いて暴れ、苗を踏んでしまった。曹操は自らの髪を切り落として詫び、全軍への規範ともした。

潔さ。

運のいい時もあれば、悪い時もある。

周囲の動きの中で、同じことをしても褒め称えられることもあれば、軽薄な輩に屈辱的な噂を立てられることもある。けれど、曹操は「そんなことに驚いてどうする」と、取り合わない。

向かい風ならタイムが悪い。追い風ならタイムはいい。しかし強すぎれば公認されないこともある。風次第でタイムなど幾(いく)らでも変わる。そんなことにいちいちうぬぼれたり、しょげたりしてどうするか。競技者なら自分の実力は、タイムが出る前に分かっているはずだ。

そういう考え方を、最近の指導者や選手ができなくなっている。

恥ずべき事だ。

けれど、そうではない人たちもいる。

先に、9月8日にオランダで行われたIAU(国際ウルトラマラソン協会主催)、国際陸上競技連盟後援の「100キロワールドカップ」大会で、日本の男女が個人、団体とも金メダルを獲得した快挙をお伝えした。

その女子金メダリストの櫻井教美(のりみ)さん(35)のエピソードを後で聞いた。

櫻井さんは24時間走でも非公認アジアロード記録241・596キロをマークしており、日本山岳耐久レースでは昨年2年連続4度目の優勝を果たしている、この領域での最強ランナーだ。

今回は結果的に3位に入った翔さんが序盤飛ばし、これについていったことなどの好要素が重なって、世界歴代2位(年代別では世界新記録)の好記録7時間0分27秒で初優勝を遂げた。

そのレース中のことだ。

支援コーチ、井上明宏さんから聞いた話である。

「櫻井さんは、ご存知の通り、朴訥(ぼくとつ)で何を考えているかよくわからない“のれんに腕押し”的な応対をして周囲を困惑させることがあるが、決して大声で風呂敷を広げるような人でないことはご理解いただいていると思います。

今回、10キロの周回コースに2箇所スペシャルドリンクが置ける各国のチームエイドゾーンがあったのですが、そこに一応、彼女は500ミリのペットボトルに自分なりの糖分補給用のドリンク入れて、数本ずつ置いていました。

通常は、走行中取って飲んだら、捨ててしまって良いものですし、他選手は基本的にそうしていたはずです。しかし、彼女はレース前から「コース沿いにどこでも捨ててしまって良いものなのか?」と、ずいぶんそのことを心配していました。民家が並んでいるが毎年ここでレースが開催され、町の人はわかっているから、大丈夫だ」と答えていましたが、結局、彼女は、レース中、飲み終わった空のペットボトルを約半周ずつ持って走り、次のチームエイドに置いていきました。

確かに、日常の生活ではゴミを人様の家の前にちらかして平気でいられるのはおかしい(タバコのポイ捨てなどありますが)ですが、実際には市民マラソンでは、ただ楽しく走っている人でも偉そうにコース上のどこにでもゴミを散らかしていきます。「レースだから特別だ」と思うわけです。しかし櫻井さんは、選手権のレース中でもそんなことを気にする、ある意味で普通の常識人なのです。

ぎりぎりのところで走っていて、100キロ走って1キロで5秒の違い(500秒=約8分)が大きく感じられるような研ぎ澄まされた状態になっているのに、手に500ミリのペットボトルを持ったまま走り続けることは、どう考えても明らかなデメリットです。それでも彼女は、常識を保ち、常識の枠内で走りきり、記録を残しました。言葉もありません」。

スポーツの根源は「それでも、やる」という潔い精神だ。

けがもあれば長い故障もある。仕事や家庭の、個人的な事情もある。競技に専念できないことが、人生には山のようにある。不利も不運もあれば、ついうぬぼれてしまうような「幸運の服を着た不運」もある。

それでも、皆一緒にスタートラインに立って、ありとあらゆる言い訳やドラマをかなぐり捨てて、身1つでレースをするのだ。

レース中もいろいろある。ずるを使用と思えば幾らでもできる、またしたくなる。

それでも、正義のままに選手は競技を続けるのだ。

そういう潔さが、櫻井さんにはある。生きている。

櫻井さんだけでなく、井上さんに聞くと特に人間の本当の限界に挑んでいるウルトラマラソンの世界には、同じ精神を持ち合わせた人たちがたくさんいるそうだ。

日本の競技者精神は、見えないところで、脈々と生きている。

むろん、人前でひけらかすものではない。だから心ある競技者の心は、なかなか社会からは見えにくい。

見えないところに、真の美しさが存在するのだ。



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プロフィル
後藤新弥(ごとう・しんや) 日刊スポーツ編集委員、61歳。ICU卒。記者時代は海外スポーツなどを担当。CS放送・朝日ニュースターでは「日刊ワイド・後藤新弥のスポーツ・online」(土曜深夜1時5分から1時間。日曜日の朝7時5分から再放送)なども。
 本紙連載コラム「DAYS’」でミズノ・スポーツライター賞受賞。趣味はシー・カヤック、100メートル走など。なお、次ページにプロフィル詳細を掲載しました。
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