このページの先頭



ここから共通メニュー

共通メニュー


ホーム > スポーツ > 後藤新弥コラム「スポーツ&アドベンチャー」



後藤新弥の「スポーツ&アドベンチャー」

2006年09月12日更新

勇猛!果敢!!びしょ濡れ美人女医

アフリカ辺境医療従事という夢実現へ、浜口敬子さん「ファラオ・ラリー」に挑戦

 1人の女医が今月末、エジプトへ向けて出発する。「ファラオ・ラリー」に参加する浜口敬子さん(31)、茨城県・保内郷メディカルクリニックの外科の先生である。夢を持っている。アフリカの辺境医療に従事したい。病院で患者を待つのではなく、自分で車を運転して奥地を訪ね、未開地の人々を助けたい。ラリー挑戦も夢へのステップ、砂漠での運転技術を磨くためという。話を聞きに行った。かいがいあった、女優みたいな美人だった。



感じて一体に

車の挙動を感じ取りながら水たまりを通過する
車の挙動を感じ取りながら水たまりを通過する

 ぎしぎしと、頑丈な車体がきしむようだ。狭い踏み分け道に岩が点在し、通り抜けるのは不可能に見える。そこを浜口さんはゆっくりと、しかし滑らかに愛車を導いた。岩に左前輪を乗せる。右後輪を別の岩の横を通す。車体がぐっと右に傾いた。倒れそうだ。

 「本当に倒れるんですよ(笑い)。傾斜に逆らって今ここでハンドルを左に切ると」。楽しげに操縦しているが、背中は危険と密着している。「車の挙動をハンドルで感じ取るんです。4輪全部の動きをハンドルのわずかな衝撃や動きで察知して、車と一体になるんです」。車を信じきっている。車も浜口さんを信じているに違いない、患者が医師を信じるように。

 深い水たまりに突っ込んだ。激しい水しぶきがボンネットのはるか上から滝のように降り注ぐ。煙突状に突き出したキャブレターの空気取り入れ口が、象の鼻のようだ。ランドローバー・ディフェンダーが半分以上水没し、止まり掛けた。水死か? いや、生きている。ゆっくりとはい上がり、セクションを抜けた。素晴らしいコントロールだ。

 南アルプスの懐深く潜り込んで、山梨県早川町にオートキャンプ場ランドローバーEXがある。渓流の河岸を利用した不整地走行のコースが作られている。浜口さんの練習場所だ。

 「夢があるんです。アフリカで辺境医療の役に立ちたい。町の病院で患者さんを待つのではなく、自分で車を運転して、自分で奥地を巡回したい。治療を受けに来られない人たちをこそ助けたいんです。だから」。不整地走行の熟達は夢への第1条件である。



任せて大丈夫

浜口さんは「自分で動いて辺境医療を」と夢を話した
浜口さんは「自分で動いて辺境医療を」と夢を話した

 外科医。消化器系の手術を担当している。

 「生まれつき難聴だったんです、右耳が聞こえなくて。中1の時に手術を受けました。ガーゼをはがしていくとドーンという音がして、ああこれが両方の耳で聞く音かと圧倒されました。それ以上に感動したのは手術してくれた先生のお人柄。任せて大丈夫、一緒に治すのだという強い信頼感がありました。私もこういう仕事をしたい、そのとき決めました」。

 千葉県松戸市出身、00年日大医学部卒。野性に目覚めたのは「学生時代の海外トレッキングでグランドキャニオンの大きさに接してから」。卒業時の00年、アフリカに行った。「ジンバブエの国境で、すがるような目で『タオルをください』とせがまれました。その目が今も忘れられません。現地の人が、薬もないがまず医者がいない。先生、お医者になって是非ここに戻ってきてほしいと、それを待っているからと」。

 その時「覚悟を決めた」という。辺境医療には従事する側にも大きなリスクが付きまとう。感染症、未知の病気、猛獣、政治不安の危険。「そうなったらなったで仕方ない。でも1度決めた夢は最後まで」。

 覚悟。スポーツさえも忘れかけた言葉だ。彼女の口からそれを聞くと、心が洗われるようだった。

 「私けっこうドジですから」とも。ジンバブエでマラリアにかかった。「6週間飲み続ける予防薬を4週間しか飲まなかった。すぐやられました」。1カ月遅れてインターンになった。



自分から動く

ここでハンドルを左に切ったら横転する
ここでハンドルを左に切ったら横転する

 02年、ドクターに。そのころトライアル競技を知った。両側にテープを張った悪路を、テープに触れず、スタックせずに走り抜けるコントロールのスポーツだ。初めて出た大会で3位に入賞した。ダートコースの耐久レースにも挑戦し、昨年は全日本シリーズで女子最高のランキング5位。

 昨年8月、雨の7時間レースで泥水に視界を奪われた。「気が付いたらコーナー内側の土手に乗り上げて、横転していました」。オフィシャルが車を起こすのを待って再スタートした。4位でフィニッシュした。冷静さが周囲を驚かせた。

 今年3月、NPO法人「SAVE AFRICA」とともにモーリタニアへ研修ツアーに行った。

 「初日に首都から600キロ走り、2日目に砂漠を200キロ。村にはヘリコプターも来なければ、組織的な国際支援の手も差し伸べられない。忘れ去られた土地でした。待っていては救えない。こちらから動かなくては。いつかは組織にも頼らずに活動してみたいと思います」。

 自分から自分で動く。ファラオラリー挑戦も砂漠やアフリカ特有の悪路を体験するためだ。競技とは別の「ファストレイド」という自由走クラスに参加する。競技と同じルートを自分のペースで走る。使用するパジェロはすでに船便で送った。29日に出発する。

 人間には治ろうとする本能がある。それを最大限に引き出すのが医師との信頼関係だ。辺境医療ではそれがより大きな要素になる。

 「完全な施設がない場所でも人を救える医者になりたい、患者さんと心が通じ合える医者になりたい。信じ合える医者になりたい」。

 彼女は言った。



Thanks
 ご愛読に感謝申し上げます。すべてにご返信ができないため、整理の都合上、nikkansports.comの本欄、マスター及び筆者個人アドレスでは、コラム内容に関するご感想などのEメールは、現在すべて受付を中止しております。お詫び申し上げます。下記にご郵送ください。
 また、他ページ、フォーラムなどへの転載は、引用を含めて、お断りします。ご協力に感謝いたします。
 【郵送宛先】 郵便番号104・8055 日刊スポーツ新聞社 編集局 後藤新弥
プロフィル
後藤新弥(ごとう・しんや) 日刊スポーツ編集委員、59歳。ICU卒。記者時代は海外スポーツなどを担当。CS放送・朝日ニュースターでは「日刊ワイド・後藤新弥のスポーツ・online」(土曜深夜1時5分から1時間。日曜日の朝7時5分から再放送)なども。
 本紙連載コラム「DAYS’」でミズノ・スポーツライター賞受賞。趣味はシー・カヤック、100メートル走など。なお、次ページにプロフィル詳細を掲載しました。
【 詳細プロフィルへ >> 】


このページの先頭へ


+ -->