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後藤新弥の「スポーツ&アドベンチャー」

2006年10月17日更新

やらないと。やりきらないと!

「長谷川恒男杯日本山岳耐久レース」2年連続4度目女子1位、桜井教美さんを取材

 壮絶なゴールを見た。24時間走でもアジア最高をマークしている桜井教美(のりみ)さん(35=東京)が、奥多摩山域71・5キロをノンストップで走る「長谷川恒男杯日本山岳耐久レース」(8日、あきる野市)第14回大会で、2年連続4度目の女子1位となった。22キロすぎで左足首をねんざしながら、総合でも13位に入る9時間10分50秒の新記録を樹立。ゴール後はその場に倒れ込んだ。ウルトラ領域を走り続ける知的な冒険者を取材した。



奥多摩山域71・5キロ

午後9時10分、大会記録をさらに短縮して桜井さんがゴールに飛び込んできた
午後9時10分、大会記録をさらに短縮して桜井さんがゴールに飛び込んできた

 ねんざのアクシデントに見舞われたのは第1関門手前、浅間峠への下り坂だった。昨年更新した大会記録のペースをこの時点で6分も上回っていた。

 「少し飛ばしすぎかなと感じた時、ギクッと音がして。4年前の練習中に花火大会の雑踏に押されて多摩川の土手から落ちて、それ以来の古傷なんです。残りは50キロ、一瞬棄権かなと思いましたが、1度やろうとしたことはやらないと。やりきらないと」。

 午後1時のスタートから山は快晴だった。携行を義務付けられた2リットルの水はすぐになくなった。水不足もあってやはりペースが落ちた。それでもコース半ば、月夜見峠の第2関門では昨年のタイムをまだ2分上回っていた。1歩ごとに激痛が走ったはずだ。全身を硬直させて衝撃に耐えたはずだ。奇跡の完走。

 「それほどでもなかったんです(笑い)。上りと平地はあまり痛みを感じませんでした。どうせなら誰も近づけないような記録を出しておきたかったし、今年はなぜか9時間10分台という予感があったんです」。

 急な岩場を含む第2関門からの難所で逆にピッチを上げ、前を行く男子選手を次々に抜いた。第3関門で昨年比マイナス9分。

 午後9時10分、五日市会館。12番目の男子にのしかかるような勢いで、桜井さんが飛び込んできた。スタートと同じ集中しきった瞳が光り輝き、シカを思わせる165センチ、52キロの筋肉がしなやかだった。



両手に血、肩も負傷

 けれどゴール直後、崩れ落ちた。ひざを折り、両手を着いた。あえぎ続けた。靴を脱ごうとしたが足首が腫れ上がっていた。ねんざの影響で転んだのか両手は血だらけ、右肩も負傷していた。昨年のタイムを10分15秒上回っていた。

 表彰状を渡した森谷重二朗大会会長(65)は「すごい人だ。01年は初出場で2位、以後は02、03、05年と走るたびに記録を更新してきた。ライバルはいない。自分の限界がライバルなんだろう」。女子2位に1時間以上の差をつけていた。

 出走2004人、完走1515人、完走率75・5%。男子の闘いもし烈だった。韓国の沁在徳選手(37=京城特別市山岳連盟)が初めて8時間を切る7時間52分24秒で優勝したが、昨年覇者の鏑木毅(37)は第2関門で19分の差をつけられながら水補給を断って急追。ゴール2キロ手前で200メートル差に迫る意地を見せた。77秒差の2位だった。

 当然脱水症状を起こしたが「それは承知の上。危険なことをしているという意識が逆に刺激になった。相手が気付かなかったら抜けたかも(笑い)。力を出し切ったから満足? だって負けたんですよ、どんな気持ちかなんて聞かないでください」。拍手の渦の中で鏑木は無念そうだった。

 桜井 実は私も満足していないんです。苦痛の中で異次元世界に自我を解放するようないつものあの快感が、今回は味わえませんでした。やはり9時間を切らないと納得できないのかしら。

 冒険者たち。無限の夢。



次が自然に見える

 埼玉県出身。小児ぜんそくだった。「せき込むので、夜はタンスに寄り掛かって寝てました」。それが治ると、小5のとき校内マラソンで優勝した。お茶の水女大付高から早大法学部へ。ワンゲル部では知床半島1周などの独創的な冒険をした。25歳でマラソン、27歳で富士登山レースを始めた。

 「中途半端ではやめられないんです。03年にイタリアのトラック100キロマラソン(7時間14分5秒=世界新)と、この大会に勝って、ああこれでやめられるとほっとしました。でも心身ともにぼろぼろに」。

 そんな苦しいことをして何が面白いのかと聞いた。

 「夢中で何かしていると次に自分が何をしたいか、できるかが自然に見えてくるんです。見えてくるとやらなくてはと思うんです」。

 強さの秘密は体力ではなく、その知力と極限の集中力、創造性に違いない。学業は常に1番だった。

 1年間休養の後、昨年大会で復活優勝した。今年6月には重度の貧血に陥りながらも24時間走に挑戦。稲垣寿美恵さんの持つアジアロード記録を4キロ上回る241・596キロ(未公認)に到達した。

 食品会社和光堂の研究開発部に勤務。普段は月300キロしか走らない。

 「24時間走の直後は、夢で思い出しては寝ながら泣いた。そのぐらい苦しかった。でも圧迫感のあった以前と違って、今は自由な気分で走れます。自分で見つけた目標に自分を向かわせるのがとても新鮮です」。



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 【郵送宛先】 郵便番号104・8055 日刊スポーツ新聞社 編集局 後藤新弥
プロフィル
後藤新弥(ごとう・しんや) 日刊スポーツ編集委員、59歳。ICU卒。記者時代は海外スポーツなどを担当。CS放送・朝日ニュースターでは「日刊ワイド・後藤新弥のスポーツ・online」(土曜深夜1時5分から1時間。日曜日の朝7時5分から再放送)なども。
 本紙連載コラム「DAYS’」でミズノ・スポーツライター賞受賞。趣味はシー・カヤック、100メートル走など。なお、次ページにプロフィル詳細を掲載しました。
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