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後藤新弥の「スポーツ&アドベンチャー」

2007年04月17日更新

「車いすの格闘球技」全米を制した男

おやじも体感“電撃戦”車いすごと宙に浮いた!!

 4人制の室内ラグビーである。疾走する車いす同士が激しくぶつかり、衝撃とともに宙に舞って転倒する。魂の激突音が聞こえてくるようだ。島川慎一さん(32)はこの「車いすの格闘球技」ウィルチェアーラグビーの日本代表だ。米国最強チームのフェニックス・ヒートにも招かれて、昨年全米最優秀選手賞を獲得した国際的なスター選手でもある。話を聞きにいった。瞳の中に炎が燃えていた。



真剣さとぶつかり合いの激しさ、自分の内側の何かが反応した

激突!シートベルトでけがはないが、車いすごと宙に浮いた
激突!シートベルトでけがはないが、車いすごと宙に浮いた

 緩く助走したつもりが、車輪を手回しすると予想外にスピードが上がった。

 「実際に乗ってみませんか」と誘ってくれた島川さんが10メートル先からぐんぐん迫ってくる。正面衝突だ。うそだろう、このままぶつかるなんて! 目をつむる暇さえなかった。ダン、ガシッという衝撃とともに車いすごと宙に浮いた。相手にのしかかるように宙返りを始めた。

 日本のエースは笑みを浮かべながら瞬時に身を沈め、上体を反らせて衝撃を受け止めていた。鮮やかだ。

 7日午後、埼玉・所沢の国立身体障害者リハビリテーションセンターで激しいチーム練習が行われていた。チーム名は電撃戦を意味する「BLITZ」。おやじにとっても雷に打たれたような体験だった。

 「ええ、この世界に雷を落としてやろうかと、そんな気持ちもあって」。島川さんがいたずらっぽく笑った。コートで燃えていたワイルドな炎が消えて、優しげな青年に戻っていた。



優しげな瞳の奥で炎が燃えている
優しげな瞳の奥で炎が燃えている

 熊本県の長洲町出身。働くのが大好きだった。21歳の時だった。交通事故。

 「入院直後は事態が認識できず、外出許可はいつもらえるのかなどと医師にたずねていた。早く元通り働かねばと、そればかり考えていた。実際に下半身が動かないと分かった時は、生きていても仕方ない、飛び降りようと思った。もう何も考えなくなった。何も考えまいとした」

 9カ月で退院した。訓練校に通いバイトを始めたが、新しい生活にはなかなかなじめなかった。

 「友人に誘われて大分でこの競技を見たのはそんな時だった。真剣さとぶつかり合いの激しさに、自分の内側の何かが反応した」。

 <ウィルチェアーラグビー>77年にカナダで四肢障害者のために考案された競技。球形のボールを使い、タックルが許されている。前パスができるため戦略的にも奥深く、激しさからマーダー(殺人)ボールとも呼ばれ、同名の映画が米国で大ヒットした。



枠を打ち破りたくなった、もっと面白くやりたかった

ボールを持って幅8メートルのゴールに走り込めば得点。島川選手(左端)のひらめきが光る
ボールを持って幅8メートルのゴールに走り込めば得点。島川選手(左端)のひらめきが光る

 「10秒間はボールを持って走っていい。ぶつかってもいい。単純なルールも魅力だった。すぐに別府のチームに入って暴れた(笑い)。でもリーグ最下位で、すごく頭に来た」。

 負けず嫌い。

 翌00年の第2回日本選手権で所属チームは4位に上がった。動きに光があった。日本代表に抜てきされた。02年世界選手権では個人賞も獲得した。東京に移籍、大手企業に勤めながら「チームFESTAE」で日本選手権3連覇。すべてが順調に動き始めた。

 「けれどその順調さに甘えたくなかった。選手層が固定化して、勝つチームが決まっているような局面があった。勝っても以前ほど感激しなくなった。枠を打ち破りたくなった。もっと面白くやりたかった」。

 生の闘争本能をむき出しにする、全く新しい競技の世界だ。身障者スポーツという固定概念の枠からも飛び出そうとした。

 05年に自身がリードして「BLITZ」を立ち上げた。新しい選手群が台頭し競争が激しくなった。



疾走。島川さんのマシン(ニュージーランド製約70万円)は普通より座面を下げて、体重差で当たり負けしない工夫がしてある
疾走。島川さんのマシン(ニュージーランド製約70万円)は普通より座面を下げて、体重差で当たり負けしない工夫がしてある

 米国からオファーが来た。04年のアテネ・パラリンピック(日本8位)でのプレーを見て、強豪フェニックス・ヒートから「旅費滞在費を持つ。緒にプレーしないか」と誘いが来た。05年秋から06年春まで米国でプレーした。俊敏さと独創性が全米選手権でも花開いた。チームも優勝、海外選手として初の年間最優秀選手賞に輝いた。

 歴史をつくった。

 「渡米に際して勤務先に相談したら、長期休暇は無理だといわれた。じゃ辞めます、とその場で(笑い)会社を辞めた。実際、家賃も払えないから、帰国したら住む所がなかった。それでも行きたかった。結果が出たのもうれしいが、ハードなトレーニング、選手としての高い意識など、得た物は大きかった」。

 米国では試合のない日は手こぎ自転車で50キロを走り、ウエートトレーニングで汗を流す。そのストイックな流儀を持ち帰った。



目下日本最強、チームBLITZ
目下日本最強、チームBLITZ

 日本でも反響があった。企業がスポーツ支援を縮小する流れの中、人材派遣とITサービスのニスコム(本社渋谷区、尾上卓太郎社長)が今年から島川さんをOAインストラクター要員として起用、連盟のサポートにも乗り出した。

 「全国10のチームの実力が急接近して、6月の地区リーグに向けて活発な活動が始まっている。BLITZの連覇が危うくなったがこれこそが望んだこと。競り合いがなかったら面白くない、強くなれない」。

 自分で自分と仲間の道を切り開いていく。険しい道でも後には戻らない。

 20日からケンタッキー州で全米選手権が始まる。チーム2連覇を目指して、12日成田空港を出発した。



 ◆日本ウィルチェアーラグビー連盟 塩沢康雄会長。97年創立。99年から日本選手権開催。日本代表は02年世界選手権8位から06年5位に躍進中。昨年の世界ランク5位。障害の程度で選手個々がクラス分けされる。登録選手約80人、スタッフ85人。HPは同名。(電話)04・2943・3565



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 【郵送宛先】 郵便番号104・8055 日刊スポーツ新聞社 編集局 後藤新弥
プロフィル
後藤新弥(ごとう・しんや) 日刊スポーツ編集委員、60歳。ICU卒。記者時代は海外スポーツなどを担当。CS放送・朝日ニュースターでは「日刊ワイド・後藤新弥のスポーツ・online」(土曜深夜1時5分から1時間。日曜日の朝7時5分から再放送)なども。
 本紙連載コラム「DAYS’」でミズノ・スポーツライター賞受賞。趣味はシー・カヤック、100メートル走など。なお、次ページにプロフィル詳細を掲載しました。
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