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後藤新弥の「スポーツ&アドベンチャー」
2007年09月04日更新孤高の個人タイムトライアル
総標高差3万メートル距離3000キロを14日間で走り抜けた
砂漠を通過中に熱中症に襲われた。峠では壮絶な雷雨に行く手を阻まれた。けれどサイクリスト戸田真人さん(48=オリンパスメディカルシステムズ勤務)は不屈だった。8月、米国西海岸からロッキー山脈の高峰マウント・エバンス(4346メートル)へ駆け上り、総標高差約3万メートル、距離約3000キロに及ぶ独自のルートを14日と6時間37分で走り抜けた。単独無伴走、孤高の挑戦だった。
自分の走りがしたいだけ
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| 19日、ロッキー山脈の名峰マウント・エバンス。北米の道路最高地点へと、最後の力を振り絞った | |
戸田さんはプロでもなければ選手でもない。毎日エンジニアとして働き、論文も書く。東京・八王子の町会ではよさこい踊りもやる。その「普通の生活」の枠の中で、サイクリストなら誰でも驚嘆するような走りをこれまでも残してきた。
87年には宗谷岬から佐多岬まで、2664キロの日本縦断を7日と8時間でこなした。97年には19日と3時間で5436キロの米国横断を完走した。
いずれも単独走で、伴走なし。自分で設定したコースを全力で走りきるのが個人TT。マスコミに売り込むこともしない。HPで自己PRすることもない。「ただ単純に自分なりの走りがしたいだけです」と、いつも言う。今回もそう。
戸田さん「確かに昔より体力は落ちているが、逆に精神はもっと困難を求めて自分を追い込みたがっている。それならさらに一段高いステージに自分を挑戦させてみようと思った。でも、そもそも人に自慢するような話ではないんです」。
帰国した戸田さんは、動機についてそう話した。
ピュアな、冒険の原点がそこにある。おやじはこういうのが大好きなのだ。
気が付いたら熱中症に…
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| 7日、上りでは500メートル走り続けることもできないほどだった | |
それだけにリスクもある。8月5日午前10時、サンディエゴをスタートした。
戸田さん「砂漠で死にかけた(笑い)。従来は2次元の挑戦だったが、今回は海抜0メートルからロッキー山脈を上り詰めていく3次元の冒険だった。ところが最初の24時間をノンストップで約300キロ走った後、砂漠地帯の山越えに入った辺りでおかしくなった。水は飲んだが気が付いたら熱中症になっていた。気温42度、タイヤの接着剤が溶けて車輪から外れ、バルブがちぎれた。修理でさらに体力を消耗し、上りでは500メートルも連続して走れないほどになった。8日、とうとうベーカーという町で38時間停滞する羽目になった」。
ベッドに寝て、頭を氷で冷やしてもまだ苦しい。「今回はここまでか」と、計画中断も覚悟したそうだ。けれど、これまで限界点を見極めずに中断したことは1度もない。独自のスタイルには誇りと意地があった。
戸田さん「死とも直面した気がする。苦しい極限状態の中で、自分を何とか走らせるのだという意志だけが働いていた」
10日、ラスベガスに着いた。走り通す強い意欲が、体調を復活させた。内側の戦いに勝ったのだ。
激しい起伏タイヤは全滅
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| 9日、熱風を切り裂いて再び砂漠地帯を走り始めた | |
中断分を含めても1日平均200キロを超える走りを続けた。
戸田さん「追い風にも悩まされた。普通は有り難いが熱風だと地獄。背中に荷物を背負っているので空冷がきかず、体温がどんどん上がった。ユタ州グレンキャニオンで台湾人のサイクリストと行き合った。この先100キロは水がないよと、自分の水を分けてくれた。それでも途中で足らなくなった。ゴーストタウンでようやく古びた手押しポンプを見つけた。祈るように押したら、奇跡的に水が出た。頭から浴びた」。
天国と地獄の、煩雑な往復。再び地獄に突き落とされたのはその夜だった。
戸田さん「14日、ようやく長い無人区間と深い峡谷を越えたと思ったら、突然の雷雨。稲妻が光るとほとんど同時に、辺り一面、所構わずドカンと落ちる。どしゃぶりの中を走り続けてやっと町の明かりを見つけたら、その途端に落雷で街が真っ暗闇になった」。
ネバダからユタ、ユタからコロラドへと、次第に激しくなる大地の起伏。2000~3000メートル級の山々を上っては下った。せっかく上ったのに宿を求めて1000メートルも下りる「無念の日」もあった。
タイヤは6本全滅、耐熱性接着剤を現地で探して自分で補修した。少年時代からの経験がものをいった。
戸田さん「19日、ついに標高差2300メートル、約45キロを駆け上がって道路最高地点4306メートルに到達した。後は担いでマウント・エバンスの頂上まで行った。満足なタイムではなかったが、可能性がある限りはと、最後まで粘り強く走り続けたことに満足できた。美しい風景だった」。
3年前には厳冬期の北極圏に挑んだ。「それから仕事などが多忙になり、練習時間が取れなくなった。仕方なく往復18キロの自転車通勤をやめた」。戸田さんレベルだと、この距離のジテツウは練習にならないのだ。代わりに毎日走って往復した。
慣れない動きに肉離れが多発したが、この2年半、1日も休まなかった。出発時には風邪で抗生物質も飲んでいた。「それでも」目指したことをやり抜いた。帰国の翌朝にはいつも通り、会社の自分の席にいた。
こういう夏、特にその終え方に、おやじはあこがれる。心あるサイクリストならきっと悔しがる。
本欄制定の「この夏の冒険大賞」はこれだ。
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| 19日午後5時半、マウント・エバンスから駆け下って最終目的地デンバー市州議会堂前に到着した | |
◆戸田真人(とだ・まさと)東京都出身。78年、茨城大時代に東京~鹿児島1425キロを5日で走破して以来、日本縦断、米国横断など単独無伴走の数々の記録を樹立。04年には厳冬の北極圏にも挑んだ。この分野では並ぶ者がない。家族は裕子夫人(48)と晴美さん(17)。173センチ、76キロ。
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【郵送宛先】 郵便番号104・8055 日刊スポーツ新聞社 編集局 後藤新弥
- プロフィル
- 後藤新弥(ごとう・しんや) 日刊スポーツ編集委員、60歳。ICU卒。記者時代は海外スポーツなどを担当。CS放送・朝日ニュースターでは「日刊ワイド・後藤新弥のスポーツ・online」(土曜深夜1時5分から1時間。日曜日の朝7時5分から再放送)なども。
本紙連載コラム「DAYS’」でミズノ・スポーツライター賞受賞。趣味はシー・カヤック、100メートル走など。なお、次ページにプロフィル詳細を掲載しました。
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