競輪トップレーサーの手島慶介選手(33=群馬)が25日に急死していた。高崎市にある自宅での自殺とみられるが、詳しい死因、場所などは不明。遺書は見つかっていない。同選手は06、07年と2年連続して、年間ベスト9が激突する年末のKEIRINグランプリ(GP)に出場している競輪界に18人しかいないS級S班の選手。昨年もGP前日に行われた新設G1「SSカップみのり」を優勝したばかり。今年に入ってからは連続してレースを欠場していた。

 手島選手が変わり果てた姿で発見されたのは25日の夜だった。地元の消防署は「1人の男性が搬送された」と証言。外傷はなかったもようで、自殺の可能性が高い。周辺の取材では、最近は体調がすぐれず、精神安定剤を服用していたという。うつ気味だったとの証言もある。弟で競輪選手の志誠(ゆきのり)さん(30)は「詳しいことは分からない。自ら命を絶ったとは信じたくない」と絶句。また、手島選手が経営するうどん&和食店「葵屋」に隣接する建具店のオーナーも「1週間ぐらい前には、半そで、短パンで自転車に乗って来て、頑張っているなあ、と思ったばかり」と首をひねった。

 突然の訃報(ふほう)に驚いた師匠や練習仲間ら7人が26日夜、遺体がある高崎市内の自宅を弔問した。約8年間、手島選手を慕ってきた矢口啓一郎(28)は遺体に対面し、「まるで眠っているようでした。今すぐに『練習しよう』と言われそうでした。実感がわいてきません」とその死を受け止めきれない様子だった。最後に会ったのは昨年12月。「言われてみれば元気がなかったかも知れませんが、まさかこんなことになるとは」とショックを隠しきれなかった。

 元選手で師匠の高橋祥一さん(54)は「まだまだこれからの選手だった。練習仲間の選手たちも、手島がいたからこそ強くなった。後輩たちのお手本になるいい先輩でした」と惜しんだ。とし子夫人は、落胆で話ができない状況。選手たちは遺族と思い出話などを交わしたが、死に至る経緯や死因などについて「とても聞くことはできなかった」というほどの強い悲しみを感じたという。

 同選手はGPに2年連続して出場するなど、競輪界のトップレーサーで、昨年も賞金8744万7200円を獲得し、最終的なランキングは6位だった。全体で3556人いる選手の中で、上位18人だけに与えられるS級S班に、昨年、今年と2年連続して在籍。95年デビューの15年目で、選手として脂が乗りきっていた。

 これまでにG1を1回優勝、G2を2回優勝しており、3年前のGPでは準優勝。変幻自在なレースぶりが持ち味で「何をしてくるか分からない」と、五輪メダリストの伏見俊昭、井上昌己、永井清史らトップレーサーに恐れられる存在。頭をきれいにそり上げた風ぼうとも相まって、特に穴党ファンには、絶大な人気があった。多少の骨折程度なら、格下のレースでもあっせんを断らず、必ず出走するファイターだったが、今年に入ってからは、名古屋(F1)小倉競輪祭(G1)と欠場が続いていた。

 手島選手はトップ選手としては珍しく、事業も手広く展開。アパートを経営し、昨年10月22日には高崎市内に「葵屋」をオープンしたばかりだった。夫人らが運営していたが、練習の合間には自らもうどんを打つこともあり、来店者には「おいしく、安い」と好評で、同選手も「忙しくて嫁さんがかわいそうなぐらい」と話していた。