日本代表SO松田力也(25=パナソニック)は、京都の名門・伏見工(現京都工学院)主将として、3年時の12年度に花園で8強入りした。当時の指揮を執った高崎利明監督(57=現京都工学院ゼネラルマネジャー)が教え子を育てた手法と、1つの失敗を明かした。

日本SO松田力也(2017年11月4日撮影)
日本SO松田力也(2017年11月4日撮影)

松田には1点差に泣いた苦い思い出がある。13年1月3日、大阪・花園ラグビー場での全国高校大会準々決勝。FB松田が主将として引っ張る伏見工は、のちに優勝する常翔学園(大阪)と熱戦を演じた。30分ハーフのため4強入りが見えた2点リードの後半28分、相手がPG成功。現在、初のワールドカップ(W杯)を目指す松田は「みんなが1つになりきれず、1点届かなかった」と高校最後の一戦を思い返した。

主将就任後、高崎は教え子へ「言葉の重みを考える。見えない努力する」とテーマを与えた。成果は「その点は比較的難しくなかった」。だが、3年の冬はメンバー争いをめぐってチームが割れたまま、花園に出場した。師は「頼りない主将だと崩れてしまうところをやりきった」と評しながら「彼の言葉足らずだったり、全体像が見えていなかった点で大きな失敗をしたと思う」。あの敗戦で、1年時から正FBの松田はチーム作りの難しさを知った。

日本代表SO松田を京都・伏見工時代に指導した高崎利明氏(撮影・松本航)
日本代表SO松田を京都・伏見工時代に指導した高崎利明氏(撮影・松本航)

伏見工で濃密な3年間を過ごすきっかけは、小4の夏にあった。京都の強豪だった花園高からユニチカへと進み、国体の京都府代表では高崎の後輩だった父大輔に連れられ、松田は長野・菅平高原で行われた伏見工の夏合宿にゲスト参加した。その年のクリスマス、父はくも膜下出血により39歳で急逝。高崎は「伏見のOBも大輔と仲良かったから、みんなが寄ってたかって親代わりみたいになって…。だから力也も大人との付き合いが上手で、ニコッとして寄っていく。パワフル系で、フランカーだった大輔の血を受け継いでいた」と成長を見守ってきた。

伏見工には平尾誠二が巣立った陶化中(現凌風中)から鳴り物入りで入学し、1年から主力。教育者として「2年生の時が一番、僕は厳しい。何も悪いところがない子でも人生が大きく変わるから、必死にあら探しをして、1度は厳しいことを言う」と信念を持つ高崎も「力也はそこも上手で、なかなかしっぽを出さない。珍しくとことん追い込んだことがない選手」と苦笑いしながら頭をかいた。

そんな松田に高崎は、埼玉・深谷高の同学年SO山沢拓也(現パナソニック)を意識させた。深谷高を率いた横田典之(現熊谷高監督)とも考えを共有し、合同練習を何度も設定。各年代の日本代表合宿から帰った際にも「同じポジションにはあいつ(山沢)がいるぞ」と持ち出し「力也はメラッとくるタイプ。何かにつけては、そういう話をした」と成長を後押しした。

帝京大で4年連続大学日本一となり、パナソニックでも飛躍する松田は言う。「高校時代は財産。自分自身が結果を出すことが一番だと思っていたけれど、それ以外のところも大事だった。最後に1点差で負けて、あの悔しさがあったから『まだまだできる』と思えた」。天性の才能を磨くと同時に、心を鍛えて今がある。(敬称略)

【松本航】