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さよなら稲尾さん惜しまれて鉄腕逝く
- 13日未明に亡くなった稲尾氏の遺体が自宅に運ばれる(撮影・藤尾明華)
西鉄ライオンズのエースで通算276勝を挙げ、西鉄、太平洋、ロッテの監督を務めた稲尾和久氏(日刊スポーツ評論家)が13日、午前1時21分、悪性腫瘍(しゅよう)のため福岡市内の病院で死去した。享年70。稲尾氏は10月中旬、首筋、左腕に痛みを覚え、10月30日から福岡市内の病院に入院していた。今月に入り悪性腫瘍が発覚、放射線治療などを続けたが12日に容体が急変し、律子夫人ら親族に見守られ、息を引き取った。遺体はこの日午後、福岡市内の自宅に戻った。シーズン42勝など数々の記録を打ち立てた「鉄腕」を人々が惜しんだ。
白い布団に包まれた遺体が午後2時15分、ストレッチャーに乗って帰宅した。10月30日に福岡市内の病院に検査入院してから15日。あまりにも突然の死だった。病院から搬送された車には親族が同乗していた。白いマスクで顔を覆い、無言のまま足早に自宅に駆け込んだ長女多香子さんの姿が、悲しみの大きさを物語っていた。
稲尾氏が首筋から左腕にかけて痛みとしびれを覚えたのは10月中旬。福岡市内の病院で検査を受けた。「頚椎(けいつい)がずれているという話だったが、手術まではせんでいいと思う」と話していた。だが、今季最後のテレビ解説となったCS第2ステージの日本ハム対ロッテ(16日・札幌ドーム)後に、痛みが激しくなり、10月30日から入院し、検査を受けた。しびれは左足にまで及んでいた。入院中に悪性腫瘍があることが発覚した。11月に入ってからは放射線治療などを行ってきたが、12日になって容体が急変。13日午前1時21分、律子夫人、4人の娘さんら親族に見守られ息を引き取った。この日、福岡市内の自宅には400勝投手の金田正一氏ら、次々に供花が運び込まれ、親類、知人が弔問に訪れた。
野武士軍団と呼ばれた西鉄ライオンズの象徴。宿敵・巨人を破り、ファンは熱狂し、九州にプロ野球を根付かせた。「神様、仏様、稲尾様」と言われた。
今年10月2日に故郷の大分・別府市に開場した別府市民球場には「稲尾記念館」も併設され、現役時代をほうふつとさせる投球姿の銅像も完成した。銅像制作では「子どもたちが見て、理想のフォーム姿でないと意味がない」と、西鉄時代のユニホームに着替え、何度も何度もテークバックを繰り返し、彫刻家のモデルを務めた。
シーズン78試合登板、42勝など現役時代は連投に次ぐ連投で身を削った。肩を壊し現役は14年。それでも人々の心に「鉄腕」の強烈な印象は残っている。引退後も休みを嫌い、野球解説、講演など全国どこにでも仕事に足を運んだ。「ファンが俺を育ててくれた。ファンがまさに父親となって俺を鍛えてくれたんだ。疲れていてもファンの声にパアーッと乗せられて投げたんだ」と最後まで話していた。
[2007年11月14日10時1分 紙面から]
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